4月22日、自然界で「36年ぶり」のヒナ誕生が確認されたトキ。その後、別のペアから次々にヒナが誕生、計8羽(5月21日現在)となり、佐渡は突然の“ベビーラッシュ”に沸いている。かつては“普通の鳥”だったトキだが、乱獲や開発によって絶滅の危機に直面。そこからこの日を迎えるまでには、人生のすべてをトキの保護に懸けてきた男たちの奮闘があった。
1920年代半ばに、日本では絶滅したと考えられていたトキ。その後、昭和にはいって佐渡島で目撃が報告され、1934年に国の天然記念物に指定された。1967年には佐渡にトキ保護センターが開設された。そこで、これまで20年間にわたってトキの飼育に取り組んできたのが、“トキ飼育の第一人者”である、獣医師・金子良則さん(54才)だ。
金子さんの飼育によって保護センターのトキは順調に数を増やしていった。ところが、2010年3月、悲劇が起こる。夜中にイタチ科のテンが飼育ケージに侵入、次々にトキを襲い、中にいた11羽のうち9羽が死んでしまったのだ。
このショッキングなニュースが報じられるや、保護センターには全国から非難の電話が殺到した。金子さんたちは「管理体制が甘い」という叱責や怒りの矢面に立たされることになった。金子さんが沈痛な面持ちでポツリとこうつぶやいた。
「“お前が死ね”とまでいわれて…。あのときはさすがにやめようと思った。テンより人間のほうがよっぽど凶暴だったよ」
それでも、「まだやり残したことがある」と思い直し、1か月以上、テンの生態を知ろうと山を歩き回った。
「相手も必死に生きているから駆除は無理。だったら、テンよりトキが強くなればいいんだって思った。襲われたとき、1羽は無傷でした。環境に慣れていれば夜でも飛べるということです。だから、野外に放すにしても、人が育てたトキじゃなくて、親が育てたトキのほうが生き残る確率が高いんじゃないかとも考えました」(金子さん)
一方、テンによる“襲撃事件”をきっかけに「トキの死亡事故検証委員会」が発足。環境省の長田啓首席自然保護官が責任者として赴任してきたのは、このときのことだ。長田さんがこの2年あまりを感慨深げに振り返る。
「すべて試行錯誤でしたね。放鳥するのに適した年齢もやってみなければわからない。4羽のトキを生まれた年の秋に放してみて、いずれも冬を越すことができなかったこともあります。いろいろな失敗を繰り返してきて、いまのスタイルができているんです」
例えば、放すトキに発信機をつけることについても、侃々諤々の議論があった。エサをとる邪魔にならないか、交尾の妨げにならないか、自由に飛べずに早死にするんじゃないかなど、意見が百出した。足輪をつけるときに、関節の上につけるべきか下につけるべきかなど、小さなことまで検証を重ねながらここまでやってきたという。
「相手は生き物。私たちがよかれと思ってやっていることでも、間違っていることがある。それにいかに早く気づいて軌道修正するか。そのためには飼育の人たちの協力やモニタリングの人たちの協力、そして情報の共有が不可欠です」(長田さん)
金子さんもまた、とにかく観察し続け、いろいろなことを試しては修正するという、試行錯誤の繰り返しだった。
※女性セブン2012年6月7日号