江戸では公許の吉原を頂点に、品川、内藤新宿、板橋、千住の四つの宿場町が半公認の遊里だった。この他にも“違法”ながら、実質的に黙認されていた「岡場所」が数多くあった。ちなみに「岡」は無許可の意。
天保の改革以前の岡場所で、ナンバー1にランクされるのは深川。深川七場所といわれ、豪勢な料理屋が軒をならべた。粋で名高い深川芸者の本拠地でもある。遊女は料理屋に出張して客をとった。
本所一つ目弁天前も人気が高い。その下のクラスで現在も地名が偲ばれるのは、谷中いろは茶屋、赤坂、麻布、音羽町、根津といったところ。本所には一つ目弁天前のほかにも岡場所があった。
回向院前は好ライバルで、両店は金猫と銀猫の置物を飾って張り合い、ともに大繁盛した。一説には招き猫の由来ともいわれる。さらに、ゴザを片手に客をとる夜鷹もいる。現在の神田錦町あたりの護持院原や柳原土手、薬研堀、両国広小路は夜鷹多発スポットだった。
営業形態の多様化も江戸の特色だ。上野の山にはショート専門のけころ、海辺、川の小舟に誘う船饅頭、餅や饅頭売りに扮した提げ重、銭湯の湯女、尼僧スタイルの比丘尼もいた。
※週刊ポスト2012年6月8日号