松田哲夫氏は1947年生まれ。編集者(元筑摩書房専務取締役)。書評家。浅田彰『逃走論』、赤瀬川源平『老人力』などの話題作を編集。1996年に TBS系テレビ『王様のブランチ』本コーナーのコメンテーターになり12年半務めた松田氏が、つげ義春について語る。
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漫画雑誌「ガロ」からは多くの個性豊かな作家が生まれた。なかでも、つげ義春さんの作品群の放つ光は、半世紀近い時間を経ても薄れることなく輝き続けている。
一時期、水木プロダクションでアシスタント的な仕事をしていたつげさんについて、水木しげるさんは、よくこう慨嘆していた。自分流の生き方で充実した人生を送ってきた水木さんにしては珍しいことだった。
「つげは怠け者ですよ。いっこうに仕事をしない。それなのに、同じ作品が何度も何度も使われてお金が入ってくる。自分は、あくせく新しい作品を描かなければやっていけないのに。けしからんですよ」
つげさんは、一九五四年、十七歳のとき、雑誌に作品が掲載され、翌年、プロデビュー。それから五八年ごろまでは、少女物、時代劇、ミステリーなど貸本漫画を描く。五八年末あたりから六四年ぐらいまで、雑誌形式の貸本漫画に暗いミステリー短編を発表。また六〇年から六五年初めまで、白土三平作品の人気にのった忍者漫画も描いていた(貸本時代)。
六五年夏、「ガロ」にデビュー。数作の助走的作品の後、六六年二月「沼」から六八年八月「もっきり屋の少女」まで、「李さん一家」、「紅い花」、「海辺の叙景」、「ねじ式」など、奇跡のような傑作十七作を「ガロ」に続けて発表(「ガロ」時代)。
七二年ごろから、「夜行」、「カスタムコミック」、「COMICばく」や青年コミック誌に作品を単発的に発表。そして、八七年九月「別離」後編を最後に、漫画作品は約二十五年間描いていない(青年誌時代)。
水木さんの言うように、いろんな出版社で、いろんな判型で、繰り返し本になり売れ続けるのがつげ作品の特徴だ。現在入手可能な本は二十数点にのぼり、全作品の八割ぐらいが含まれている。
とりわけ「ガロ」時代の奇跡の傑作群のリピート率は高い。現在、五種類の版が生きている。同じ作品なのに、新しい本が出ると必ず買うファンもいるし、新しい読者も生まれているようだ。作品数も少なく、四半世紀も新作を発表していない作家としては、この衰えない人気は奇跡に近い。
※週刊ポスト2012年6月8日号