福島第一原発事故発生時、政権中枢はこの危機にどう対処し、失敗したか。その検証は国家にとって欠かせない作業だが、国民の生命を危険に晒した菅直人・前首相は、国会の事故調査委員会で、この期に及んでも嘘と自己弁護、責任転嫁に終始する醜態を見せつけた。
国民の悲劇は、原発メルトダウンという国家的危機に、菅直人という総理大臣を頂いていたことである。
「現場の皆さんの顔と名前が一致したのは大きなことだった」
菅氏は事故調で、国の最高責任者が事故当日に官邸を留守にして福島原発を視察した成果をそう証言した。問題の深刻さがまったくわかっていない。
現地視察によってベントの実施が遅れ、水素爆発を招いたという重大疑惑がある。本誌はSPEEDI(※1)資料から、首相の現地視察が決まった後、官邸の原子力災害対策本部が福島原発1号機のベント実施の予定時間を「首相帰京後」へと8時間半も大幅に遅らせていたことを報じた(2011年6月10日号)。その結果、水素爆発が起きたのである。顔と名前など、社員名簿でも見れば十分だ。
そうした水素爆発の真相こそ事故調で解明されるべき重大問題のはずである。「視察で迷惑をかけたが、これだけの被害を食い止めることができた」というならまだしも、「顔と名前が一致してよかった」では避難生活で亡くなった犠牲者は浮かばれない。
菅氏には、「海水注入」疑惑もある。1号機の冷却水が喪失した後、「再臨界の可能性はないか」と海水注入にストップをかけたとされる問題だ(※2)。菅氏はムキになって反論した。
「淡水がなくなった場合、海水注入が必要だというのは一致していた。準備に1時間から2時間かかると説明があったから、その時間に海水注入を含めて議論しておいたほうがいいと議論した。止めろというのは私の意向ではない」
問題はいった、いわないではないのだ。そもそも海水注入による再臨界の可能性はほぼゼロで、一時的な再臨界が起きたとしても核爆発のような事態にはならないことを本誌は専門的知見から指摘してきた。現場の技術者も、官邸に控えていた専門家も、そんなことは百も承知だ。
それを「準備まで時間があるから」とド素人が官邸で余計な議論をしたことが現場を混乱させた。事故収束のトップの懸念を部下たちが忖度して行動することぐらい、一国のリーダーであるならばわかって当然だ。そして今なお、そのことがわかっていない。
※1 SPEEDI/緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム。原発事故の際、気象情報をもとに放射性物質がどのように広がるかをコンピュータで予測し、自治体に通報して避難に利用するシステム。福島第一原発事故でも正常に稼働し、ベントの際には原発から飯舘村など北北西の方向に高い濃度の放射性物質が拡散するとの予測が出ていたが、政府が公表しなかったため、緊急避難した住民が濃度の高い地域に移動して被曝する事態を招いた。
※2/福島第一原発事故発生翌日(3月12日)、炉心冷却のために海水注入が検討された際、菅氏が「再臨界(核分裂の連鎖反応)の可能性はないか」と心配したことから、官邸に常駐していた東電フェロー(元副社長)が現地の所長に注水停止を指示した問題。実際は、所長が官邸からの指示を無視して海水注入を続け、最悪の事態は避けられた。
※週刊ポスト2012年6月15日号