【著者に訊け】『ドッグマザー』(古川日出男著・新潮社・1785円)――福島出身の作家がこの国の未来に挑戦する画期的長編小説
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取材翌日、古川日出男氏(45)は東北行きを控えていた。朗読劇『銀河鉄道の夜』と題し、大船渡や福島を回るライブツアーである。今回は柴田元幸氏らを客演に迎え、郡山出身の古川氏は脚本と朗読を担当する。古川氏はこう語る。
「3.11以降、確かに僕は被災地へ通う機会が増え、昨年は仕事で訪れたNYで〈Fukushima出身の小説家〉として質問も受けました。でも自分が福島の人間であることと作家活動がどう関わるのか、今は正直まだ整理できていない。ただ、自分の想像力を善きことに使う覚悟はより明確になった感じがあって、震災後、連載をやめた作品もあれば、続けた作品もあります」
『ドッグマザー』は後者、連載を唯一続けた作品だ。正確には第一部と第二部の掲載後、東日本大震災が起き、そのとき氏は福島でも東京でもなく本書の舞台・京都にいた。そして1年の空白を経て書かれた第三部には震災後の闇が濃密な影を落とし、そんななか主人公・僕は決断する。〈ここ京都で聖家族を作る〉と。
東北は氏にとって単なる故郷ではない。自身“メガノベル”と名付ける『聖家族』(2008年)では東北の歴史を描き、ある罪で追われる兄弟の行き着く先が相馬市だった。震災から1か月後、古川氏は一路福島浜通りをめざし、その虚実入り混じる旅の行程を『馬たちよ、それでも光は無垢で』(昨年7月)に綴った。〈見ろ、現実を。書け、小説を。〉と。
そして東京湾岸に暮らす疑似家族〈あたしとカリヲとメージ〉の関係を描いた『ゴッドスター』から5年。実は明治天皇の記憶を持つメージの死後、彼を養父と慕う主人公が愛犬〈博文〉とヒッチハイクで京都をめざし、遺骨を御陵に埋めるシーンから、本書は始まる。
「雑種の博文は苗字もあり、もちろん伊藤です(笑い)。僕は正史に対するフィクションの可能性というか、今日本人が自明のものだと思っている倫理や価値観を問い直す意味でも、新たな歴史を紡ぐ必要を震災の前から感じていて、明治以来の近代合理主義的な文学の系譜を離れようとして暴力的なまでにポップな小説を書いたこともあった。
でもこの国にはこの国の風土に根差した物語こそが必要だと考え直し、儒教や仏教が輸入される前、それこそ天皇家の正統性の根拠となった『古事記』以前の姿まで戻ろうとしたんですね。
そこでは人間礼賛という考えすらなく、虫や草木も含めた全てが宇宙の名の下に共生する。仮に人間を描くのが従来の小説とすれば、『人も犬も馬も牛もよく描けている小説』というのが、僕がめざす最高の褒め言葉かもしれません(笑い)」
メージはあくまで精神的な父親で、戸籍の代わりに3種の偽造IDを持つ彼には年齢も血縁も全てがない。が、相当な美形であるのは事実で、彼には京都に来るなり女ができ、モデルの仕事も紹介された。
その実態は事務所の金でジムに通い、広告等での露出を餌に女性客を取らされる男娼だったが、彼は〈萎えることのない僕の勃起で、ただ、ひたすら女の膣のもっと深みをと掻き回す〉ことに専念し、その才能を最初に見出した写真家は言った。〈あまりにも綺麗綺麗に暴力的だよ〉
「今回は僕にしては初めて性描写には力を入れました。人間の獣性というか、怖くなるほどの暴力性がそこには見え隠れし、愛と暴力が不可分に共振する。または震災後、僕が無性に食べたくなったのが焼肉で、自分の血肉の素材と発生の過程を正確に書くことも人間の人間たる所以を考える上で欠かせない要素ですから」
例えば家族や絆といった言葉も、本書では一般的な文脈のまるで逆をゆく。
「僕も家族は大事ですよ、でも絆なんて言葉に頼って本当に大丈夫なのかと。あるいは脱原発にしろ家族やその延長にある国家にしろ、実は言葉に頼ることで失われるものは多く、単に血が繋がっているからとか日本は象徴天皇制だからという“わかりやすい言葉”を離れたところで、歴史とは、国とは何かを、物語の形で書いてみたかったんです」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2012年6月15日号