防災タワーとして注目される三重県の錦タワー
昨年3月の東日本大震災以降、南海トラフ地震や、首都直下型地震など、大型地震の被害想定が頻繁に改められている。例えば、首都直下型地震では、最大震度は7で、東京湾岸では最大で2.6mの津波が予想されている。
地震と、それに伴う津波からどう身を守るかというのは喫緊の課題である。東日本大震災の被災地では、住民を高台に移住させる計画など、様々な対策が考えられているがうまく進んではいない。
被災地・岩手県の県議会議員である佐々木茂光氏は次のように話す。
「高台への移転を進めても、漁業関連の仕事をされている方々は海に面した作業所で仕事をしなければならない。そのため、一時避難できる高層の建物を建設するという考えもあるのではないかと思い、今年に入って視察に行きました」
岩手県のほか、全国各地から視察が相次ぎ、すでに1000人を超す人が訪れているのが、三重県大紀町にある「錦タワー」だ。高台まで逃げなくとも、緊急避難先として活用するための防災タワーとして1998年に建設された。
高さ21.8mの5階建てで、津波の高さを6.4mと想定し、耐震強度は建築基準法の1.5倍で設計されている。2階以上のフロアと階段に500人を収容できる。周辺の錦地区日の出町の住民は約200人。釣り客などを含めても十分な収容力だ。
錦タワーが建設に至った理由は、大紀町が過去に甚大な津波被害に遭っていたことにある。昭和19年、東南海地震で発生した津波で、紀勢町(現・大紀町)の錦地区では64人が亡くなり、全壊家屋447戸、被害船舶101隻という被害を被った。錦タワー発案者の大紀町・谷口友見町長(72)は当時5歳だった。
「祖母と一緒に必死で高台へ駆け登ったのを覚えとる。高台でなくてもすぐに高いところに避難できればと思った。それ以来、どうすれば町を津波から守れるか、ずっと考えていた」
谷口町長は昭和61年に紀勢町の町長になってから、長年温めていた「津波避難タワー」を徐々に形にしていく。
「大根を削って四角柱か円柱か、八角柱かと、形状を試行錯誤した」(谷口町長)
構想2年、削った大根は数百本。素案を名古屋市の設計事務所に持ち込んだ。
「素案は、津波で漁船が流されてタワーにぶつかったときに、漁船を受け流せるよう、上に向かって細くなる円柱形になっていて、非常に練られていました」(伊藤建築設計事務所代表・小田義彦氏)
過去には、「津波なんか来ないで(タワーが)無用の長物になればいい」と発言した町長に、「税金の無駄遣い」との指摘がされたこともあった。しかし、完成から14年、その先見性が認められ、東北沿岸部復興の救世主となる可能性もある。
撮影■渡辺利博
※週刊ポスト2012年6月15日号