身体の中に染みこんでいるツイッターへのログイン作業を強制的に停止してみたらどうなるか。「うぉぉぉツイッターやりてぇぇ」みたいな禁断症状は出るのか? ツイッター依存症を自認するノンフィクション・ライターの神田憲行氏が、自らの体験を告白する。
* * *
「ちょっとツイッターを止めてみようか」
ある日、突然50人以上からフォローされたことがきっかけだった。確認してみると外国人のスパムアカウントだった。誰かがイタズラで仕掛けたらしい。シラミ潰しのようにそれらをひとつひとつブロックしながら、最近、自分がツイッターやフェイスブックの依存症になりつつあることも感じていた。
楽しみもある。休肝日で一日酒を休んだ翌日のビールの美味いこと! SNSを再開したときに新鮮な楽しみがあるかもしれない。
一週間休んでみて、改めてSNSにアクセスするのが自分の身体の中に染みこんでいるのがわかった。朝起きる、バスに乗る、風呂上がりにビールを片手に。無意識にiPhoneからツイッターにログインしている自分を発見して、苦笑いして閉じることがしばしば。でも「うぉぉぉツイッターやりてぇぇ」みたいな禁断症状は出ない。SNSって、はまるのも早いけど脱けるのも簡単かもね。
ただ手持ちぶさたにはなる。仕事に飽きると「2ちゃんねる」のまとめサイトを次々と流し読みしていって、「なんでこんなもの熱心に見ているんだ?」と自問自答したり、久しぶりにmixにログインして、「やっぱり何もない」と無言でログオフ。
「浮いた時間」で新聞や本を読むことが出来たのはよかったけれど、ちょっと長めの地震があったときは、ネットニュースで情報がなかなかとれなくて不満だった。ツイッターならすぐ震源地や大きさを誰かがすぐTLに流してくれたのに。
一週間後に復帰してまず感じたのは、休肝日あけのビールのようなワクワク感がないこと。どのタイミングで何をつぶやいていいのかわからない。いや何でもいいのだろうが、戸惑う。子どもの頃、大きく回している縄跳びの中になかなか入れなかった。
それでつぶやいたのがこれだ。
《一週間ぶりにTwitterに復帰して、これの何が面白いだったか思い出そうとしている》
友人がさっそく下ネタで絡んだきたところ(私はだいたい下ネタ系が多いのです)、こんなリプライを飛ばしてきた人がいた。
《中の人としてはもう少し優等生なアドバイスをしていただきたかった…》
知らない女性である。どうやらツイッター社の広報担当の女性らしい。じゃ優等生的な回答をお願いした。
《Twitterは神田さんが大切だと思う物事や大切な方々との距離を近づけるためにあるんです! (by 広報)》
なるほど優等生である。
《いちばん距離を近づけたいヨメとの距離がどんどん離れて行くにはどうしたらいいのでしょうか 》《それは簡単です。Twitterなんて使っている場合ではありません。デートに行きましょう》
ツイッター社の人間なのに「Twitterなんて使っている場合ではありません」とは、なかなか面白い。
ああ、そうだった。ちょっとすれ違った人とクスリと笑う会話をかわす、この感じが好きだったのだ。ツイッターを始めたころの感覚を思い出させてくれた彼女に感謝だ。でも、女房をデートに誘うのがいちばん難しいんだよなあ。