6月6日、66歳で亡くなられた、三笠宮家の寛仁(ともひと)親王殿下。2008年に声を失われた後、喉の振動を音声に換える「人工咽頭」を喉に当てながら語る姿は鬼気迫るものがあった。
「私は結婚した時、妻に『俺はお前のことを守らないよ』と言ったんです。私が一番に守らなければいけないのは昭和天皇……陛下の一番近くにいて、いつも用心棒のつもりでいました」
2009年1月に『SAPIO』(小学館)のインタビューに応じたときのことだ。
皇籍離脱を申し出たり、女系・女性天皇に反対するなど、歯に衣着せぬ率直な発言と気さくな人柄で多くの国民から愛された“ヒゲの殿下”。本誌『週刊ポスト』は昨年入院する直前、女性宮家問題についてのインタビューを快諾してもらっていたが、実現することなくこの世を去った。
「ラジオのDJやテレビのバラエティ番組に信子様と出演するなど、皇室のイメージを変えようと意欲的でした。公務にも熱心で、スキーの指導を通じて身体障害者の福祉に生涯をかけて取り組みました」(皇室記者)
45歳の時に食道がんの手術をして以来、実に16回もの手術を受けながら病魔と闘った。その姿は見る人に大きな勇気を与えてきた。その間も積極的な行動を続け、ポリシーを曲げず、つねに昭和天皇への尊崇の念を貫いたヒゲの殿下。これからは敬愛してやまない昭和天皇のお側で嬉々としてお仕えすることだろう。
※週刊ポスト2012年6月22日号