菅直人前首相は5月下旬の講演で、橋下徹氏の人気について「一過性なのではないか」と語った。まさに“あなたに言われたくない”というところだが、それとは裏腹に、橋下氏への期待は日に日に高まりつつあるように見える。その一方で、橋下氏を批判する議論も、盛り上がっている。橋爪大三郎・東工大大学院教授が分析する。
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橋下氏を批判する議論が盛り上がっている。その典型が、「独裁批判」だろう。でも批判する人びとが、「独裁」という言葉を正しく理解して、批判しているかどうかは、はなはだ疑問だ。独裁とは、絶対的な権力者が、独占的に法律の制定権を掌握することをいう。
アドルフ・ヒトラーが独裁者になったのは、ワイマール共和国の議会が、全権委任法といって、議会の権限を無期限でヒトラーに委任するという議決をしたから。地方自治体は法律の制定権がないし、明確な憲法違反だから、どう転んでも「独裁者」が生まれる気づかいはない。
国政では、一人の権力者が独占的に法律の制定権を手にしてしまう可能性がある。国民が愚かで、権力者に絶大な人気があった場合は、議会が法律の制定権をその権力者に渡してしまえば、可能となる。
橋下氏が仮に国政に打って出て、絶大な人気を得たとしても、独裁者のようになる可能性はないだろう。なぜなら彼は、弁護士だからだ。
弁護士は、「ひとの話を聞き」、「ひとの利益を考え」、それを実行するための「法律的手段を考える」のが仕事で、橋下氏もそれをやってきた。議論をせず独断で法律を定めていくのが独裁だが、ひとの話を聞くのが仕事の弁護士は、いちばんそうした独裁者になりにくい。
彼はよく、論争相手に怒ってみせるが、それは選挙民に向けられたものではない。「独裁者」は、選挙民に対して怒るもの。この点からも、彼は独裁者とは正反対の体質を持っている。
論争相手に怒ってみせたり、時に発言が乱暴になったりする理由は、その相手が「沈没感」を共有しておらず、危機感なく悠長に見えるからではないか。
ギリシャの例で考えてみよう。ギリシャでは、まだ大勢が、緊縮財政に反発している。危機感を持って、財政再建を進める立場のリーダーからしてみれば、「この期に及んで何を考えているんだ。改革が必要なのは明らかだ。実態を見ろ!」と怒鳴りたくもなる。
橋下氏は、それと同じように、強い危機感を持っている。だから実態をわかっていない評論家がああだこうだと言ってきたら、「実態を見ろ」と強く言いたくもなる。彼の激しい口調は、危機感のあらわれだと言えるだろう。
※SAPIO2012年6月27日号