神奈川・鎌倉市で市議会議員を3期(12年)務める千一(せん・はじめ・57才)さんは、しゃべれない、歩けないという障がいを持つ。移動は電動車椅子。意思疎通は、トーキングエイドと呼ばれる音声読み上げキーボードに頼っている。
食事やトイレ、着替えも介助がないと自分ではできない。それでもひとり暮らしをしてきた。千さんはこのほど、『じろじろ見てよ 重度脳性マヒのぼくが議員になって』(いそっぷ社)を上梓した。書名に選んだ『じろじろ見てよ』という言葉は、千さんの58年目の決意表明でもある。
千さんは、サラリーマンの父と専業主婦の母との間に長男として生まれた。しかし、生後1年目で脳性麻痺が発見される。病名は、アテトーゼ型脳性麻痺。アテトーゼとは不随意運動のことで、自分の意思とは逆方向に体が動いてしまうことをいう。上半身が特にひどく、両手、右足はまったく使えない。
ただひとつ思い通りに動く左足の親指でトーキングエイドを打って、それを音声に変換して会話をする。携帯電話は持っていないが、固定電話ならば、ハンズフリーにしてトーキングエイドを使えば会話も可能だ。
名刺の交換や、ペンを持ってサインをしたり、街頭でリーフレットを配るのも左足だ。左足は千さんの要である。
アテトーゼは目にも出るため、まぶたが下がってきて目が開かなくなることもある。5分おきに誰かが目を拭いてあげないと、キーボードを打ち続けられないほどだ。
「このキーボードは声を出せない人用のものなので、基本的には手で打つように作られています。一度名古屋にトーキングエイドを使っている人たちを訪ねたことがありますが、足で打っている人はぼく以外にはいませんでした。目の位置から足の先までの距離が遠く、文字盤が見にくい欠点はありますが、手放せませんね」(千さん)
千さんが話す「はい」や簡単なセンテンスの言葉は、キーボードを使わなくても充分に聞き取れる。しかし、長い文章で語ろうとするときは機械に頼らざるをえない。目が開かなくなってキーボードが押せなくなると、はたから見ていてももどかしそうである。千さんの頭の中にはたくさんの思いが詰まっているのに、ストレートに伝えられないつらさ。私たちの想像を超える忍耐が千さんには備わっているのだと思う。
「ぼくはしつこいんです」
そういって、千さんは笑う。大学に入学したとき、ひとり暮らしを始めたとき、鎌倉市議を目指したとき。そしてこの本を書く覚悟をしたとき。最初から投げ出すことはせず、地道に1歩1歩を踏み出していったのだ。千一という名前は、市議に出馬するときに作った通称名。「千里の道も一歩から」の意味を込めた名前だ。
本書を書くのに要した月日は、約5年。
「1時間かけて書けるのは3、4行程度。頭で考えたことを、キーボードで打ち、その音声を聞き取りのボランティアをしてくれる友人が書き取っていってくれました。シリアスにならないように、思いっきりばかばかしく、ユーモアをこめて書いたつもりなんだけどね」
選挙までたった10か月のときに出馬を決意したといういきさつも書かれている。
「“しゃべれない人間に議員ができるのか”という周囲の心配は感じていました。選挙活動で街を練り歩いていたときには、通りすがりの人から“障がい者に何ができる!”と怒鳴って睨みつけられたこともありました」
しかし、準備期間たった10か月、支持団体もなかった候補の千さんは、当選者28人中19位となり、奇跡の当選を果たした。
※女性セブン2012年6月28日号