見た目は地味な木製シャープペンが5万本近くの売り上げを達成した。北星鉛筆創業60周年記念で発売された『大人の鉛筆』。作家の山下柚実氏が、ありそうでなかった不思議な商品の誕生秘話を報告する。
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ただひたすら「字を書く」ことに没頭してしまった。
指先から鉛筆の記憶がよみがえってくる。鉛筆を握ってしっかり字を書くなんて、何年ぶりだろう。
『大人の鉛筆』。見た目は地味な、木製シャープペン。1本580円はちょいと高いな。実際に買う人ってどれくらいいるんだろう? それが第一印象だった。
しかし、一見凡庸な筆記具が「ヒット商品」だと聞いて、がぜん興味がわく。いったいどこに、人の気持ちを揺さぶる秘密が隠されているの?
手にとると無垢の木がふわりと優しい。ノックして芯を出して紙に当てる。サラサラと線が生まれてくる。滑っていくようなスムーズな感じ。文字が文字を生む快感。ごくわずかな摩擦と微妙な弾力とが、先端から伝わってくる。
北星鉛筆創業60周年記念で発売された『大人の鉛筆』。2011年4月に発売され、「国際文具・紙製品展ISOT」の「日本文具大賞」でデザイン部門優秀賞を受賞し、5万本近く売り上げた。文房具では堂々「ヒット」と言える数字だ。
芯の繰り出しや金具はたしかにシャープペン。しかし、書き味は鉛筆そのもの。ありそうで無かった不思議な商品だ。とにかく手と指の記憶を揺さぶる触感が新鮮だ。
『大人の鉛筆』を開発するきっかけは何だったのでしょうか?
「工場見学に来た親子がふともらした一言に、ヒントがありました」と同社専務取締役の杉谷龍一氏(35)は言う。
「お母さんが『大人も使える鉛筆があればいいのに』と言ったのです。たしかに今の鉛筆はキャラクターの柄が多くて子ども向けという印象が強いんですよね」
鉛筆は子どもの文具そんなイメージが定着している。しかし製造側としては、母親の感想を聞き流すわけにはいかなかった。少子化の逆風に加えて100円ショップに中国製鉛筆が並ぶ時代。
「鉛筆の生産量は年々低下して40年前の3分の1まで落ち込んでいます。文字を書かなくなったこの時代に、あえて鉛筆から離れてしまった『大人』に向け、新しい鉛筆を作れないだろうかと。小さい頃、一番身近にあって誰もが馴染んだ道具ですからね」
対象世代を「大人」に絞りこむという、「文具として初めて」(杉谷氏)の開発コンセプトがこうして定まった。
開発のヒントが生まれてきたという工場見学。興味津々、私も参加してみた。それは驚きの連続。身近なはずの鉛筆について、実は何も知らなかったことを、誰もが知ることになるのだから。
例えば、鉛筆の製造には100以上の工程があること。
芯は、黒鉛と粘土を混ぜて1000度以上で焼き上げること。さらに、書き味を滑らかにするため、油に浸すこと。
軸の六角形は親指、人差し指、中指の3点で押さえるために「3」の倍数でデザインされていること……。
「へぇー」の連続。鉛筆トリビア。数々の秘密を知り、これまで理解してなくてごめんね、と鉛筆に謝りたくなる。軸の木材も厳選されている。
「木目がまっすぐ通っていて、節が少なく、しかも芯を削るために軟らかい素材でなければならないのです。昔から使われ続けてきたのがインセンスシダーという木です。ヒノキ科で芳香があるんですよ」
そうか、私が小学校で握りしめていた鉛筆はインセンスシダーだったのか。
「最近の輸入製品にはシナ材や他の材料が使われたりする場合もありますが、『匂いが違う』という苦情もあるようです(笑)」
工場見学は大人気、年に1万人近くが見学に来るとか。
※SAPIO2012年6月27日号