舞台『土御門大路~陰陽師・安倍晴明と貴船の女』(あの塩谷瞬も出演)が都内で上演されるなど、数多くの小説やコミック、映画の題材となっている陰陽師・安倍晴明。その晴明人気の理由を京都『晴明神社』の宮司に訊いた――。
京都市上京区、京都御所に近い『晴明神社』。ご祭神は平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明。修学旅行の中高生から、カップル、団体の年配客まで、中には平安時代の貴族の装束を模した“コスプレ”の人など参拝者は後を絶たない。
「時期や曜日などで差はありますが、平均して1日に1000人くらいお見えになります」と言うのは宮司の山口琢也氏。
安倍晴明は実在の人物だが、映画やコミックなどで、占いや祈祷といったスピリチュアルな能力を持つ、超能力者のように描かれる事が多い。そのイメージが、パワースポットとしての“効力”に重なり、晴明神社の人気に拍車がかかったのだ。
晴明が活躍したのは60歳を過ぎてから。当時は、その時点でかなりの長寿だった。そのため、過去のさまざまな行事や祭り事、風習に対する造詣が深く、知識もあったため、時の権力者に重用され、当時としては異例ともいえる85歳まで生きた。
天皇の譲位の日時を決めたり、大嘗会の奉行を担当したり、またあるときは、寺社を建立する場所や日程を定め、天皇が病気となれば加持祈祷をする……晴明は、あらゆる政(まつりごと)で、重要な責務を果たしたのだ。
「ファンの方は、抜群の問題処理能力を身に付けていた晴明公に、理想的なリーダー像を見ている気がします。数十年にわたって政治の表舞台で活躍し、数々の難問を解決した彼に現代人も惹かれるのでしょう」(山口氏)
晴明が精通していた陰陽道は、平安時代に最先端の学問であった「天文道」や占いを体系化したもの。陰陽道のエキスパート、つまり当時の最高レベルの知性を獲得していたのが陰陽師である。
晴明にはこんなエピソードも。陰陽師は、祈祷や占いで、「式神」(しきがみ)という人には見えない精霊を使うとされているが、晴明は、普段から自分の屋敷で式神に雑用をさせていた。ところがある日、妻に「気持ちが悪いので追い出して欲しい」と言われ、仕方なく式神を一條戻橋の下に隠して、用があるときに呼び出して使うようになったという。当時のスーパーヒーローも、妻には逆らえなかったというわけである。
※週刊ポスト2012年6月29日号