ツイッターで多くの若者からの相談に答え、その含蓄あるツイートが話題の直木賞作家・志茂田景樹氏(72才)。今年2月、宗教をテーマにした電子書籍を販売したが、そのあとがきでオウム真理教について触れている。その志茂田氏に、いま再び注目が集まるオウム問題をはじめ、続発する通り魔など社会を不安に陥れる事件について聞いた。
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――菊地直子容疑者の逮捕と、高橋克也容疑者の逮捕をどう見ますか?
志茂田氏:菊地容疑者は、もっと潜伏できたんじゃないかなと思います。オウム裁判の一応の終着を見て、潜伏していたこの17年間、ずっと持っていた緊張感が緩んだんじゃないかなという気がしますね。最後は元信者でもなんでもない男と事実上の結婚生活をしているでしょう。もし逃げきろうと思ったら、そういう行動はしないと思いますよ。
一方、高橋容疑者の場合は、緊張感をずっと持続していた気がする。監視カメラにも映らないようにと知恵を働かせて全ての行動が徹底していましたよね。ずっと逃げおおせようと思っていたのでしょうね。何が何でも逃げきろうという高橋のようなタイプは、いよいよ逃げきれなくなった場合、自分でケリをつける、つまり自殺するんじゃないかと私は見ていましたが…。
――著書『新折伏鬼の野望』のあとがきに、オウム裁判の決着により、オウムの再生が始まったと書いていますが、その真意は?
志茂田氏:新興宗教というのは、どうしても活動が先鋭的になるんですね。社会性がなくなって、強引に勧誘場所に連れていって折伏したり。要するに宗教ってのは“信じる信じない”の問題になってくるんで、理性と離れたところから出発してるんですよね。“信じるためにはこういうことしなきゃいけない”というようなものがどこの宗教でもあるので、そういった活動に猛烈なエネルギーを注ぐようになるんですね。
本来、新興宗教っていうのは貧しいなかで生まれやすいんですよ。貧しさと病気を柱に、この宗教を信じれば豊かになり、病気も治りますよっていう布教の仕方をしていく宗教も多い。オウム真理教の場合は日本が豊かな時代に生まれましたが、ちょうど心の悩みを抱える人が増えていった時代背景もあって、物質的な貧しさは関係なく信者を増やしていった。心惹かれていった若者たちが多いと思うんですね。
混乱期ではない豊かな社会のなかでは、新興宗教というのは非常に特異な教団に見えるわけですよ。周囲から活動を狭められているぶん、内部の“燃焼”が激しくなるので、その反動で、非常に極端なカルトへと向かっていってしまいやすい。オウム真理教は、その結果、地下鉄サリン事件という反社会的な行動を起こしてしまった。
オウムは司直の手で“壊滅”させられましたけど、アレフや光の輪のように派生した教団は残っています。過去にも、大本という教団が弾圧されましたが、派生した教団はいまでも根強く残っているんです。オウムは壊滅させられても、そこから派生した教団はもっと利口になり、やや社会性を持ちながら、でも意外と強い布教のエネルギーをエンジンのように発揮しながら伸びていくはず。そして、教団が続いて行く限りは急成長する時期が来るんですね。それをぼくは“オウムの再生”じゃないのかと表現したわけです。
――大阪の心斎橋など、最近、通り魔事件が増えていることについては?
志茂田氏:最近だと、車を使って登校中の子供に飛び込んだりというのも、ぼくは車を使った一種の通り魔だと思うんですよね。ムシャクシャする気持ちを全然関係ない人を道連れにして晴らすとか、こうした事件を起こす人たちは、考えが短絡的で身勝手という特徴がありますよね。心斎橋の事件の犯人が「人を殺してしまえば死刑になると思った」と供述しているように、自殺する度胸も実行力もないわけです。
――今後、こうした事件は増えるのでしょうか?
志茂田氏:増えていくでしょう。ぼくはとくに高齢者による事件、トラブルは増えていくと見ています。70代の女が渋谷で通り魔事件を起こした例もありますが、いまの70、80代は体力があって、それだけ活動年齢が長くなっているといえます。昔の人のように70才、80才だから人生がもう終わった、お迎えを待つばかりだというような意識を持つ人もいまの高齢者には少なくなってますよね。もちろん寝たきりや病院通いの高齢者もいますけど、まだまだ活動年齢の最中にいる元気な高齢者も多い。ですから、割合としてトラブルはこれからも多くなっていくでしょうね。
【志茂田景樹(しもだ・かげき)】
1940年3月25日、静岡県出身。小説家。1980年に『黄色い牙』で直木賞を受賞。90年代には『笑っていいとも!』などのバラエティー番組にも出演し、タレントとしても活躍。1999年に「よい子に読み聞かせ隊」を結成し、読み聞かせ活動を中心に絵本・児童書作家としても活動している。