『メルマガNEWSポストセブン』では、ビートたけし、櫻井よしこ、森永卓郎、勝谷誠彦、吉田豪、山田美保子など、様々な分野の論客が『今週のオピニオン』と題して、毎号書き下ろしの時事批評を寄稿する。6月22日に配信された20号では、櫻井よしこ氏が登場。先日お亡くなりになられた三笠宮寛人親王殿下との想い出を、櫻井氏が語る。
(※編集部注/文中の寛仁親王の「寛」は、正しくは「寛」に点が付きます)
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「おひげの殿下」として親しまれた三笠宮寛人親王殿下が薨去(こうきょ)された。本当に気概ある方だったと思う。2006年に私は『皇室と日本人』という本を、寛仁殿下、加瀬英明氏、小堀桂一郎氏との共著として出版させていただいた。この本の中の殿下との対談は2005年12月に行なわれた。寛仁さまは人を楽しませることのお好きな方で、東宮御所の敷地内にある宮邸で、ズバリズバリと語られた。
「高校生の頃、はたと気がついたら我々には同業者が16人しかいなかったのです」ときり出された。「同業者ですか?」と聞き返すと「皇族のことです」と仰って、声を出して笑われた。そう、あの頃はしっかりとしたお声で会話がお出来になったのだ。皇室や皇族の在り方を建設会社にたとえてお話しになったのも印象的だった。ずっとお若い頃に高松宮さま(昭和天皇の弟宮)と、こんなふうに語り合われたそうだ。
「皇室を建設会社にたとえますと、会長が陛下(昭和天皇)で社長は皇太子(今上陛下)、重役として秩父宮さま、高松宮さま、三笠宮さま、常陸宮さま(正仁親王)がいらっしゃる。その下の我々の世代が部長、課長ということになりますが、会社がうまく回っていくためには、本部の人だけではなく、現場監督が必要です。それに私がなる」
そして「現場監督」を実行なさった。1972年の札幌オリンピックのときには組織委員会の一員となって札幌に行かれ、一介のサラリーマンとして2年間働かれた。その後、亡くなられるまでずっと、福祉の現場で障害をもった人々を励まし続けた。かといって、障害をもつ人々に同情するのでなく、彼らと「普通に」接することで励まし続けられた。本当に前向きですばらしいご活動で、「福祉の宮様」とも呼ばれる一生をお過ごしになった。こんなお人柄だったから、国民にはとりわけ親しみ深い宮様だったのだと思う。
※メルマガNEWSポストセブン20号