同時期に2つの美術館で展覧会が開催されるとあって、大注目を集めているフェルメール。“北のモナリザ”と称される『真珠の耳飾りの少女』の公開と『真珠の首飾りの少女』の初来日が、その熱気に拍車をかけている。では、そもそもフェルメールっていったいどんな人だったの?
ヨハネス・フェルメールは1632年、織物職人の父の元、陶器で知られるオランダ・デルフトに生まれる。21才で妻のカタリーナと結婚、30代前半に代表作である『真珠の耳飾りの少女』『真珠の首飾りの少女』を完成させた。
フェルメールは寡作で知られ、43才でその生涯を閉じている。熱狂的なファンの多いその絵の魅力、そして人物像とは?
妻のカタリーナと1653年に結婚し、1675年に死去したフェルメール。
「22年間の結婚生活で、なんと15人もの子供をつくっています(うち4人は幼少時に死亡)。ただ、それだけ子供がいながら、フェルメールの絵にはほとんど子供が登場しないのも不思議な点です」
亡くなったときには、11人の子供のうち8人がまだ25才未満だったという。
フェルメールの絵には、なぜかおなかの膨らんだ女性がしばしば登場する。『フェルメール 静けさの謎を解く』(集英社新書)の著者で、アートライターの藤田令伊さんはこういう。
「妊娠中の妻をモデルにしたと考えると自然ですが、これは“単なるファッション”だとする説も。当時はおなかがゆったりとしたデザインの服が流行していたようです。妊婦なら、おなかのもっと下の方がポコリと膨らむはずという指摘もあります」(以下「」内、藤田さん)
フェルメールの絵は青が印象的で、“フェルメール・ブルー”と表現されるほど。
「ラピスラズリという希少な鉱物からつくられるウルトラマリンブルーという顔料を多用しており、これは当時、金と同等の価値があるとされた非常に高価なものでした」
借金も多く、生活に困窮していたといわれるフェルメール。借金は、その“青”の絵の具代へと消えていたとの見方も。実際、フェルメールの死後、妻は自己破産を申請したといわれている。
※女性セブン2012年7月5日号