スマートフォンの2011年末の世帯普及率は29.3%となり、前年末の約3倍に急増(通信利用動向調査・2012年5月 総務省発表)。今年3月、ドコモはついにムーバの生産中止を発表し、時代は確実にデータ通信ができる携帯電話への流れとなってきているが、そもそも「ケータイ文化」を作ったのはドコモのムーバが先駆けだ。
1992年のNTTドコモスタート当時は、日本の携帯電話の普及率はわずか1%。まだ主流はポケベルで、携帯電話は自動車電話などとして企業の幹部らが仕事で利用するのが中心だった。形も大きく、色も黒1色で、アナログ形式と今から思えば無骨なデザインだが、当時は持っていると“おおッ”という目で見られたもの。
そんな携帯電話の歴史を垣間見ることができる、ドコモ20年間のCMが一夜限りで復活する。ドコモが提供するヒューマンドキュメンタリー番組「夢の扉+」のナレーター3人(中井貴一、坂口憲二、向井理)が出演するNTTドコモ20周年スペシャルドラマ・夢の扉特別編「20年後の君へ」(7月1日夜9時~、全国TBS系)の放送の間にオンエアされるものだ。
登場する女優、俳優やミュージシャンたちも初々しく、当時の携帯電話の使われ方も懐かしいCMの数々。
1994年「デジタル・ムーバ」のCMでは宅麻伸が課長島耕作を演じ、企業幹部など一部の人のものだった携帯電話を一般のビジネスパーソンにも広めるきっかけとなった。96年には織田裕二が登場、携帯とモバイルギアを接続して出張先からメールを送るシーンを見せる。
携帯電話が認知されつつありながらも、実際使っているのはビジネスマンが多く、ドコモのCMにもビジネスマンの登場が多かったが、99年「iモード」のスタート時には、ドコモのポケベルCMの顔だった広末涼子が携帯電話のCMに初登場。それまでポケベルCMに制服姿で登場したり、ベッドの中でポケベルを見つめ、「もう、寝ちゃうからねっ」とつぶやいたりしていた広末だが、ここでは楽屋での広末本人を演じ、シルバーの携帯電話を使って「iモード」で銀行振り込みやメールをしてみせた。広末の台詞のように携帯電話が「ケータイ」と呼ばれるようになったのもこの頃からだろう。
2000年の加藤あいは「iモード」で辞書検索を、2001年の宇多田ヒカルは新しく登場したFOMAでテレビ電話をと、携帯電話の新しい活用法を次々と紹介し、携帯電話の爆発的な普及を後押しした。その後2002年の「ケータイ家族物語」では、家族とのコミュニケーションに使われる姿を描いた。
そして2007年に蒼井優が登場する「国境を越えて」篇では遠距離恋愛のカップルを描き、世界で使えるケータイをアピール。2008年「高校生のはじまり」篇では青山テルマの曲にのせて、高校生活がスタートする直前の女の子が新しい携帯電話を手に微笑むなど、ケータイが高校生にも普及してきていることをあらわした。
20年間のCMを振り返ることで、実際に人とのつながり方が変化してきていることを実感する。ケータイによってコミュニケーションが変わったともいえるこれまでの20年だが、次の20年では、例えば1993年に20歳で携帯を手にした若者が60歳。シニア世代のコミュニケーションも変わっていくことだろう。