ユーロ危機は、しばしば “家族ドラマ”に喩えられる。急場しのぎの金を無心するばかりの叔父(ギリシャ)や素行不良の妹(スペイン)らと、口うるさい兄(ドイツ)の確執、そして解決能力を持たない父(ECB=欧州中央銀行)。“家庭崩壊”寸前のユーロは、今後どこに向かうのか。経済学者の野口悠紀雄氏が解説する。
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先日行なわれたギリシャ議会の再選挙では、僅差とは言え緊縮派が勝利し、ユーロ離脱が遠のいたことで、一時的に市場は安心感を取り戻した。しかし、これで危機が去ったわけではない。私は、むしろユーロ問題の基本的な解決が遠のいたと思う。
そもそも、ユーロとは各国が独立した財政運営を行ないつつ、金融政策の自由を奪って固定為替レートを強要する仕組みである。
ドイツは古い産業構造であるにもかかわらず、ユーロ安に助けられて輸出産業が一時的に伸び、財政運営が安定している。一方、ギリシャのような構造的な問題を抱える国(観光以外に格別の産業を持たず、公務員数が多く、福祉施策関連の支出が多い国)では、国債乱発による放漫財政が常態化してきた。
ユーロ導入時にあった「財政赤字はGDPの3%以下」や「債務残高はGDPの60%以下」といった基準は、ほとんどの加盟国で守られていない。同じ通貨を使っていながら、国家の財政事情によって好きに支出し、借金ができるような仕組みは、経済原則的には成立し得ない。こうした矛盾が顕在化したのが、現下の金融危機である。
根本的な解決には財政政策の統一が理想だという人がいるが、ドイツやフランスなどの先進的グループと、ギリシャやスペインなどの後進的グループが混在し、生産性に大きな格差がある以上、およそ不可能だ。
仮に財政統一すれば、先進的グループが後進的グループを共倒れになるまで支え続けなければならない。ドイツ国民がこのような決断をするとは到底考えられない。
現実的には、ユーロの解体(最低でもギリシャの離脱)以外、解決策はない。しかし、それを政治的に実現できるかどうかは極めて不透明である。
※SAPIO2012年7月18日号