加藤智大被告は2008年6月に東京・秋葉原で17人を殺傷(7人死亡、10人負傷)した罪に問われ、1審で死刑判決とされた。被告側は「死刑は重すぎる」と主張して控訴。だが第2審では姿を見せぬまま結審を迎え、判決は9月12日に下る。
なぜ加藤被告は「無差別殺人」という「狂気」を宿したのか。その心の闇を解く鍵が、加藤被告本人が拘置所で綴った獄中手記にあった――。週刊ポスト取材班は加藤被告本人が事件の全貌とそこに至るまでの胸中を綴った手記『解』(批評社)を出版予定という情報を得て、関係者への取材を開始。そして7月中旬に発刊予定という手記を独占入手した。
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秋葉原での惨劇の直前、加藤被告は歩行者天国の入り口となる交差点に差し掛かるたび逡巡して駅前を巡回したという。
加藤被告が「後戻りはできない」と考えたのには二つの理由がある。一つはネット上のトラブルがきっかけとなり、掲示板での交流ができなくなったこと。もう一つが事件3日前、加藤被告は静岡の自動車製造工場を辞め、職場の友人を失ったことだ。手記にはこう書かれている。
〈仕事を失ったのは、「ツナギ事件」が原因でした。一言でいえば、いつものパターンです。5日の朝、工場に出勤すると、ロッカーに私のツナギがありませんでした。共用ロッカーで、20着くらいの同じ色・形のツナギが掛かっていますが、それまで半年以上、普通に毎日見つけていたのですから、この日に限って見落とすことなどあり得ません。
(中略)ツナギを隠されるという嫌がらせが私に入力された時にはもう無断帰宅が頭の中に出力されていて、そのまま怒りにまかせて、すぐに行動になりました。(中略)工場を出て駅に向かって歩いている間、「またやってしまった」と、泣きたい気分でした〉
加藤被告の自己反省はすぐに憤慨へと変わる。職場の友人から「ツナギあったよ」とメールが届いたのだ。
〈再びもやもやしたものが出てきました。それはつまり、犯人がこっそりツナギを戻してそしらぬ顔をしているということだからです。(中略)ツナギをこっそり戻してそしらぬ顔をしているという間違った考え方には、無断退職することで対応することが思い浮かび(中略)「もう工場には行かない」と、すっぱりと自分から切り落としてしまいました〉
自分の居場所はこの世界にはない。交差点を前にして、改めてそのことに思い至った加藤被告が運転するトラックは、赤信号を無視して人混みの中へ突入する。
〈人をはねた後のことは、覚えていません。気づくと私は、トラックで走っていました。人をはねたことはわかっています。罪悪感、後悔も残っています。それでいっぱいでした〉
※週刊ポスト2012年7月20・27日号