加藤智大被告は2008年6月に東京・秋葉原で17人を殺傷(7人死亡、10人負傷)した罪に問われ、1審で死刑判決とされた。被告側は「死刑は重すぎる」と主張して控訴。だが第2審では姿を見せぬまま結審を迎え、判決は9月12日に下る。
なぜ加藤被告は「無差別殺人」という「狂気」を宿したのか。その心の闇を解く鍵が、加藤被告本人が拘置所で綴った獄中手記にあった――。週刊ポスト取材班は加藤被告本人が事件の全貌とそこに至るまでの胸中を綴った手記『解』(批評社)を出版予定という情報を得て、関係者への取材を開始。そして7月中旬に発刊予定という手記を独占入手した。
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加藤被告は、全国で職を転々としてきた。埼玉の自動車工場、茨城の住宅関連部品会社、静岡の自動車工場……。派遣労働を繰り返していたという事実、そして事件発生が退職直後ということで、就職氷河期に悩む若者の「鬱屈」についての議論が喚起された。だが、事件の背景に「格差社会の歪み」があるのではないか、との見立てに対し、加藤被告は公判で一貫して否定している。犯行動機についてはこう主張し続けた。
「ネット掲示板上の成りすましなどの嫌がらせをやめて欲しいとアピールしたかった」
加藤被告が憎悪の対象とする「成りすまし」とは、加藤被告が利用したネット上の掲示板において、加藤被告を装いコメントを書き込むユーザーを指している。
加藤被告にとって、掲示板とはネット上における“ただの”ツールではない。
公判では一部分しか表にでなかった事件の核心部が手記には綴られている。
〈掲示板と私の関係については、依存、と一言で片づけてしまうことはできません。(中略)全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた、と説明します。空白とは、孤立している時間です。孤立とは、社会との接点を失う、社会的な死のことです〉
“社会的な死”を加藤被告が最初に意識したのは、茨城の工場で派遣労働をしていた2006年のことだった。激務が続き、このままでは友人との交流を続けられなくなると工場を辞めた。
〈その結果、仕事を失ったことで、私と社会との接点はひとつも無くなりました。孤立です〉
加藤被告は手記の中で、肉体的な死よりも社会的な死の方が恐怖であると述べている。そして社会的な死から逃れるために、自殺を考えたこともあったという。
※週刊ポスト2012年7月20・27日号