「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏の娘婿で、パナソニック名誉会長の松下正治氏が99歳の大往生を遂げたが、「これで社内外の“脱松下”がより鮮明になる」(パナソニックOB)との見方が広がっている。
近年のパナソニックはトヨタ自動車などと違い、創業家が経営の中枢を担う体制にはなっていない。『豊田家と松下家』の著書もある経済ジャーナリストの水島愛一朗氏が語る。
「幸之助翁は正治氏を経営者として認めていなかったところがあり、松下家以外の優秀な人材を育ててきましたが、正治氏は幸之助亡き後も会長職にとどまり君臨しました。しかし、度重なる不祥事(金融子会社の不良貸付問題や欠陥冷蔵庫の販売)や経営悪化、そして息子の正幸氏を副社長に据えるなどの情実人事もOBたちの批判を招いた。結局、2000年に正治氏が名誉会長に、正幸氏が副会長に退いたことをきっかけに、創業家の影響力は徐々に薄らいでいきました」
経営陣による“創業家切り”は、その後も断行されたという。
2005年には「破壊と創造」を経営スローガンに掲げた中村邦夫氏が、松下家の資産管理会社が出資するなど関係の深かった松下興産を外部に切り売りし、松下グループの「聖域なき構造改革」が後のV字回復の原動力とされた。また、中村氏からバトンを受け継いだ大坪文雄氏は、2008年に社名を松下電器からパナソニックに変更。正治氏から「松下の名前がなくなるのはかまわないが、その理念は残してほしい」とクギを刺される一幕まであった。
歴代社長たちは、創業家に一定の敬意とお伺いを立てながら、現場の経営からは距離は置いてもらう体制を築いてきた。
最も大きな存在だった正治氏が死去したことで、松下家の社内への影響力は一段と小さくなるとの見方がある。息子の正幸氏はいまも副会長の肩書きを持っているが、「数年後には相談役あたりに退くだろう」(業界関係者)との推測もある。
しかし、月刊BOSS主幹の関慎夫氏は少し違った見解を述べる。
「幸之助が唱え続けた松下電器の『人や社会との繋がり』を大事にした経営理念は、やはり松下家が継承していくのがいちばん説得力がありますし、外部からも分かりやすい。そういう意味では正幸氏がパナソニックの役員から外れるようなことがあれば、この厳しい経営環境下で、創業の精神が失われかねません。津賀一宏新社長の体制もスタートしてまだ日が浅いですし、正幸氏はしばらく経営の一角に残るでしょう」
2012年3月期決算で過去最大7721億円の最終赤字を記録し、再建に挑むパナソニック。経営陣はさて、どう舵を切るか。