昨年10月、全国47都道府県で暴力団排除条例が施行された。それから半年、日本のヤクザはどのような影響を受けているのだろうか。東日本大震災後の福島第一原発に作業員として潜入し、原発とヤクザの密接な関係を暴き出したフリーライター・鈴木智彦氏が実態を報告する。
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現在、暴力団社会はこれまでにないスピードで変化している。昨年10月、全国の都道府県で出揃った暴力団排除条例が、前代未聞の脅威となったからだ。非合法なシノギに依存している個人や団体は、最初から逮捕・懲役というリスクを織り込み済みで、取引相手もまた同様だから、蚊に刺された程度の痛みしかない。だがフロント企業を経営し、“正業”をメインとしていた暴力団にとっては死活問題だ。
20代の頃、対立組織の組員を射殺し、長期刑を務めた山口組系幹部はこう解説する。
「暴排条例はヤクザにとってロンギヌスの槍(注1)だ。ただでさえ景気が悪く、風当たりも強く、組織はどこも死に体だったのに、当局は俺らの死亡を確認し、追い打ちをかけるかのごとく暴排条例という槍を突き立てた。しこたま金を貯め込んだヤツならともかく、暴力しか取り柄のない俺や、末端の組員はどん詰まりだ。多くのヤクザは、もはや死体のようなもので、俺に言わせればゾンビだ」
この幹部は刑務所の訓誡でキリスト教を選び、舎房で聖書を熟読したらしい。多少こじつけめいているが、暴力団らしからぬ文学的なメタファーだった。ただ、暴力団の未来に希望はみじんもないという点は、私の見解と一致する。
事実、「もう終わりだ!」という悲鳴はあちこちから聞こえてくるし、「ヤクザでは金が稼げない。生きていけない」と嘆き、引退した組長も多い。当方の内部協力者いわばネタ元の暴力団幹部たちも、昨年の秋以降、20人以上がカタギとなり、3人が自殺した。怨嗟の呻きは暴力団社会の随所からあがり、諦観が蔓延している。
暴排条例は暴力団との接点すべてを遮断するために作られている。処罰を受けるのは、商品・サービスを提供した一般人の側だ。いかなる理由があろうと、どんな取引であっても、暴力団との付き合いは違法であり有罪とされる。一般人をターゲットとしている部分に、暴排条例の画期的発想がある。警察署で拘禁され、厳しい取り調べを受け、それが公表されれば、一般人にとっては大きな社会的制裁だ。これに対し、暴力団側はなんの対策も立てられない。
※注1:ロンギヌスの槍:十字架に張りつけられたイエス・キリストの死亡を確認するために突き刺されたとされる槍。
※SAPIO2012年8月1・8日号