この半年間、世論調査を読売が12回、次いで朝日が11回実施した(週刊ポスト調査)。大手紙だけに限っても実に4日に1度、どこかが調査を行なっている計算になる。いまや「世論調査ジャーナリズム」が幅をきかせている。しかしこうした世論調査の数字は、“民意”を反映しているとは言い難く、新聞や政権の意向に沿って世論を誘導しているのではないか、と疑義を呈するジャーナリストの鳥越俊太郎氏と長谷川幸洋氏が対談する。
長谷川:政治はもちろん、メディアに対しても国民の不信感は高まり、世論調査を筆頭に、誰も自分の気持ちを代弁してくれないという思いが強い。「腑に落ちない」感覚が日に日に溜まり、それをどこかで晴らしたい。実は今、首相官邸前で「原発再稼働反対!」と叫ぶことが、その鬱憤晴らしになっていると思うんです。あれは現代版「ええじゃないか」なんですよ。
鳥越:私は60年安保世代なので、若い頃、街頭に出て政府に抗議するのは当たり前のことで、学生の頃は毎日のようにデモに行っていました。その一方、世の中が豊かになり、しだいに鬱憤を晴らす必要もなくなっていった。そのため、選挙は別として、国民が自発的に政治的な意志を示すことがなくなったんです。ところが今、数十年ぶりにそれが蘇っている。新聞、テレビはあまり大きく伝えてはいませんけれどね。
長谷川:私は今回の現代版「ええじゃないか」の現場を見て思うのは、あれはデモでもなければ集会でもない、ということです。強力な主催者やリーダーがいるわけでもなく、デモや集会の許可申請をしているわけでもない。ツイッターやフェイスブックを通じて、組織に属さないただの個人が勝手に集まって自然に群衆となり、それぞれ勝手に「原発再稼働反対」と叫び、それぞれ勝手に帰っていく。
かつての反体制運動には反体制組織への忠誠があったのに、そういうものがほとんど見えません。そこが新しいところであり、凄いところなんです。
鳥越:民主主義社会にとって、ひとつの論に集約されることは非常に不健康なことで、つねに異論が存在し、それを許容する余裕があるというのが健康な状態です。反小沢にせよ、消費増税賛成にせよ、世論調査を使ってひとつの意見に染め上げられようとしているのは、好ましい状態ではない。
秩序や組織性からはみ出している「反原発の群衆」はまさに現代社会の異論です。そういうものを政治もメディアも大嫌いだから取り上げたがらない。彼らが作り上げてきた原発という豊かさの象徴が否定されているのだからなおさらです。
長谷川:私はあそこにこそ、世論調査によって示される「民意」なるものとは違う、本当の民意があるような気がしています。
※週刊ポスト2012年8月3日号