滋賀県大津市の市立中学2年生が昨年10月に自殺した事件をめぐって、議論は百出の様相である。ノンフィクション作家・門田隆将氏がいじめ問題への対応策について指摘する。
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世間を騒がしている大津のいじめ事件における「警察の動き」を国民はどう見ているだろうか。おそらく、多くが「いい加減にしろ」と思っているに違いない。
私は、大津警察署がとった行動にこそ、事件の本質が隠されているような気がしてならない。自殺した中学2年生(13)は、殴る蹴るはもちろんのこと、「自殺の練習」をさせられ、死んだハチを食べろと命令され、亡くなる前日にはマンションの自室も荒らされていた。
その父親が息子の死後、暴行の「被害届」を出しに大津署に行ったが、3度も「受理してもらえなかった」というのである。市民の生命と安全を守るべき警察が、死んだ息子の無念を胸に相談にやって来た父親を3度も“門前払い”にしているのである。
そこには同じ「人の親」としての思いやりや憐憫の情、洞察力……等々が全く窺えない。その神経は、異常というほかないだろう。しかし、私はそこにこそ、この事件のポイントがあると思う。
単に「いじめ」といっても、それは千差万別だ。中学生ともなれば、学校の先生を腕力で凌ぐ生徒などいくらでもいる。また、やくざの息子もいれば、平気で先生を脅すような親も少なくない。
そんな学校現場で、いじめや校内暴力を止めるためには、警察との連携が不可欠であることは自明だ。だが、肝心の警察が、そもそもそんなことに「理解」もなければ、「やる気」もないのである。
つまり、日本の警察には、いつまで経っても「学校のことは、学校で処理せよ」という頭しかない。私は、日本の警察の意識を変え、警察が行動しやすい体制さえつくれば、いじめや校内暴力をなくすのは、実はそれほど難しいことではない、と思っている。
つまり、警察力の「教育現場への介入」を積極的に押し進めることだ。いじめを見れば、まず教師が対策を話し合い、それでもダメなら、早い段階で「警察力を利用」することである。そのことが当たり前のごとくおこなわれるようになれば、ワルどもが「やりにくくなる」のは当然である。
そういう警察力の介入を積極的におこなう教育現場を社会が「非難する」のではなく、逆に「評価する」姿勢ができれば、いじめの被害者は激減するだろう。
子供たちの生命を守るためには、当然すぎるこういうことがこれまでできなかったのは、いつも浮世離れした“書生論”ばかり展開する新聞メディアに責任がある。
世の自称・人権派たちと組んで、新聞ジャーナリズムがそれを阻止したり、批判したりしなければ、命の助かる生徒がどれだけ増えるだろうか、と私は思う。いじめによる自殺者をなくすには、教育現場と新聞ジャーナリズムが“偽善”から脱却することが、まず第一なのである。