ソーシャルメディアの発達は中国においても決して無視できない。微博と呼ばれるミニブログには、市民による体制への告発も相次ぐ。だが、それがすぐに民主化に結びつくかとなると話は別だ。ジャーナリスト・富坂聰氏が指摘する。
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チュニジアに始まり中東全域に波及した独裁政権打倒の波、いわゆる「中東の春」がソーシャルメディアで結ばれた若者たちが中心となって起こした革命であったことはいまや周知の事実だ。
同じように共産党支配が続く中国でもソーシャルメディアが社会変革に果たす役割が期待されたが、いままでのところ「民主化デモ」の呼びかけがいくつか見られただけで、いずれも不発に終わっている。
では中国ではソーシャルメディアの影響は限定的だったと結論付けられるのだろうか。
実はそうではない。むしろ大きな影響を社会に与えている。しかも政治に対してもだ。
中国でいま人々に最も影響力を持っているのは微博(ミニブログ)である。この微博が果たした役割で最も大きいと思われるのが、民意の力を高めたことだ。なかでも地方においては権力の監視役として強い力を発揮する場面が目立っている。今年も工場の建設や産廃処理場、発電所の建設に対して住民による大規模な反対運動が起きて計画がとん挫するという事件が相次いだが、そのすべてが微博を入り口として大きな住民運動の波へと発展したパターンだった。
また権力の監視役としては、地方の権力者が高級品を身に付けていたり、高級な嗜好品、または高級レストランで食事をしている姿が目撃されれば、市民がすぐに携帯で写真を撮ってアップする流れもできている。こうした微博上での告発を受けて事件化した例も枚挙にいとまがなく、いまや贈収賄事件の端緒としては最大の役割を果たすようになっているのだ。
逆に地方の幹部にとっては常に監視の目にさらされるという従来にはなかった肩身の狭さに直面することとなったのである。こうした地方における“民高政低”の傾向は、ものすごい勢いで現在も拡大し続けているのである。
ならば中国においても、いずれ近い将来に民主化の波が北京を襲い、中国版ジャスミン革命が起きるというのだろうか。
実は、これも正しくない。
すべてのメディアが当局の管理下にある中国において、微博もその例外ではないからだ。但し、ここで重要なのは微博をコントロールするツールが首都・北京にしかないという事実である。
微博の管理――政府に都合の悪い書き込みを削除するなど――についていえば、すでに地方レベルにおける政府批判や反対運動の呼び掛けは「ほぼ無制限」(北京の都市報の記者)のレベルになってきているというから、それはそれで大きな変化という他ない。いまや地方政府は微博のなかで湧きおこる民意の前にほとんど無力で、唯一「五毛党」――一回五毛=五角で政府を擁護する書き込みを行うネット評論員――を使って反対意見を載せたり弁解するしか対抗手段を持たなくなっているのだ。
ただ前述したように、それはあくまで地方に限っての話なのだ。中央は相変わらずメディアの大きな蛇口を握っているため、民意が襲いかかるのは地方政府だけという枠をはずれることはない。
この現実についてメディアと政治の関係を研究する北京のジャーナリストは、
「中国の微博は確かに民意の力を高めました。しかしその一方では中央の力をさらに高める作用ももたらしたのです。そしてこの現実が中国社会にどんな変化をもたらしたのかといえば、それは地方政府だけを沈没させるという働きなのです。だからいま中国の地方は元気がないですよ。下からは民意に突き上げられ、地方と中央の関係では中央集権が増進しているわけですからね。このことが今後どのように中国社会を変えていくのかについては明確なことは言えませんが、地方の活力が失われた国の経済が上り坂になるとは思えませんよね」
と語るのだ。
凄まじい勢いで起こる民意の台頭。その裏で進む過度な中央集権の現実。中国が生み出したこの独特のねじれが、次の火薬庫となることが懸念されているのだ。