健気なヒロインが頑張って頑張って苦境を乗り越えるストーリーは、いわば“朝ドラ”の王道。だが、それだけで説明しきれない魅力と心地よさが、このドラマにはある。
NHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』。放送開始から3か月半、63回目(6月13日放送分)までの平均視聴率は20.0%。昨年放送された『カーネーション』の19.1%をも上回り、9年ぶりの20%超を達成している。その人気はますます高まるばかりで、最近では22%超えを連発。
ドラマは現在、昭和30年ころにさしかかっている。友人たちの協力もあって医学専門学校での落第危機を逃れ、国家試験に見事合格した梅子(堀北真希)は、帝国大学病院での研修を経て、「町医者」として独立・開業にこぎつけた。
梅子の「下村医院」は内科だが、打撲や切り傷などさまざまな患者がやってくる。そのたびに梅子は親身になって、治療を続けながら患者の人生にまでかかわっていく。
東京・品川にそんな“リアル梅ちゃん先生”がいるという。梅子とほぼ同時代に町医者になり、以来50年間、いまも診察を続けている萩沢医院(耳鼻咽喉科・小児科)の萩沢雅子医師(81才)だ。
萩沢さんの自宅1階に診療所はある。「患者さんの顔を見て、対話をして病気を看る」がモットーで、訪れる患者たちは「先生と話してすっきりした」といって笑顔で帰っていく。萩沢さんが当時を懐かしく振り返る。
「梅ちゃん先生は私より3 つくらい上の設定かな。貧しかったのは全く一緒だけど(笑い)。私が幼いころに父が亡くなり、母子家庭で育ちました。母から“医師なら資格もとれて、人も救える”といわれ、医師を目指したんです」
1950年、18才のときに『梅ちゃん先生』の舞台、蒲田にある東邦大学医学部に入学。インターン、大学病院勤務を経て、31才で最初の子供が生まれたのを機に、“子育てしながら仕事もしたい”と開業し、町医者に。それが、ちょうど50年前のことだという。
「耳鼻咽喉科の看板を掲げていましたけど、当時は医者が少なかったし、近所の人は具合が悪くなるとなんでもかんでもうちに来ていて、とにかくなんでも診ましたね。子供の熱とか、その親の腹痛とか…。休診のある日、子供にお乳を飲ませていたら、うちの前に救急車が止まって驚いたこともありました。よく医院に来る患者さんが乗っていて、“萩沢さんにかかってるから、萩沢さんのところに行ってくれ”って来たんです」(萩沢さん)
いまでこそ、診療はCTスキャンやMRIなどの医療機器を駆使した検査が広まっているが、当時はもちろんそんな機械などない。聴診器ひとつで丁寧に問診し、専門外の病気でも町医者が治療に応じるのが当たり前だった。
診療時間は夜7時までだったが、みんな診療所の上に自宅があることを知っていたので、患者は夜中でも家のブザーを鳴らしてくる。
「治療費は物納で、ということはなかったけれど、“先生、次の給料日まで待って”というのはずいぶんありました。うちの患者さんは3代、4代にわたって来てますという人ばかり。小さいころからうちにかかっていた男の子が、ある日、お嫁さんを連れて訪ねてきてくれたり。そういうのが大学病院にいたのでは味わえない、町医者ならではの喜びですね」(萩沢さん)
※女性セブン2012年8月2日号