(「【衝撃連載2】27歳監禁女王様が19歳調教彼氏に殺されるまで」の続き)
吉田がついに限界に達したのは、2011年7月22日深夜だった。2人は前日夜から吉田の実家にある自室で過ごしていた。吉田が何気なく水を飲もうとすると、美絵さんから「飲んだ水を吐いてこい!」と命令された。このときには、勝手に水分を取ることすら禁じられていたのだ。
このとき、吉田の中で何かがプツンと音を立てて切れた。背後から美絵さんの首に右腕を回し、力の限りに締め上げた。美絵さんは消えゆく意識の中で、
「私が悪かった」
「助けて」
と哀願した。やがて、美絵さんの体が動かなくなったため、いったん絞め付けるのを緩めたが、体が再び痙攣し始めたことに驚き、吉田は腕にありったけの力を入れた。死因は頸部圧迫による窒息死だった。
午前4時、遺体を車で山林に運び、着ていた服を全て脱がして美絵さんの遺体を埋めた。美絵さんの服には、吉田の名前が刺してあったという――。
美絵さんが吉田を常に監視し、隷属状態に置いたのが、純粋な愛によるものだったのか。それとも歪な征服欲によるものだったのか。今となってはその真実はわからない。唯一断言できるのは、どんな仕打ちがあったにせよ、吉田が犯した殺人という犯罪に弁解の余地はないということだ。
前述した吉田の親族は、「親や警察に一言でも相談していれば、あんな惨劇は起こらなかった」と肩を落とす。
吉田の母親は、憔悴しきった表情で、「何も話すことはありません」と語るのみだ。
一方、美絵さんの親族は、「裁判で一方的に悪くいわれているようだが、まさに“死人に口なし”で反論できず、とても悔しい。加害者側の供述も全面的に信用できないし、たとえどんな理由があったにせよ、あんなに無残な殺され方をする理由には決してならない」
と怒りを隠さない。
美絵さんの父親は、取材に対し、「何も話すことはない」といって口を閉ざした。
美絵さんの遺族の怒りが大きいのは、犯行後の吉田の行動も理由のひとつだろう。翌月に逮捕されるまで、吉田は美絵さんと一時期共に暮らした都内のアパートで生活した。その間、彼女が遺した約70万円を使い切り、出会い系サイトで新たな女性と知り合い、交際していたことがわかっている。検察官は論告求刑で「後悔や反省の気持ちがあればこのような生活はできない」と追及した。
吉田に下されたのは懲役8年の実刑判決だった。「愛」と「支配欲」との境界線は極めて曖昧であることを思い知らせる事件だ。(了)
※週刊ポスト2012年8月3日号