ロンドン五輪でメダルが期待される体操の田中理恵選手。兄の和仁・弟の佑典とともにオリンピック出場を果たし、“田中3兄弟”としても注目が集まっている。だがオリンピックまでの道のりは苦難に満ちていた。作家の山藤章一郎氏がリポートする。
* * *
田中理恵はいかにオリンピック選手となったか。父・田中章二氏(63)の、まずカネの苦労。
「強くなるとどんどんお金がかかります。理恵と、兄、弟も各地の試合に出る。それに、妻と私が同行する。選手の宿は指定されてます。ひとり1万円の宿泊費で、1週間滞在すると7万。掛ける5人で35万円。私の月給分です。
これに、交通費、食費。年間、どのくらいかかるか怖くて計算できません。とにかく、ボーナスは全部遠征費用に消えました。体操の選手をこしらえる、しかもオリンピック選手に育てるのは容易ではありません。私は延べ500人に教えましたが、オリンピック選手は3人です」
27歳・和仁、25歳・理恵、22歳・佑典。3人の子に幼児期より体操を教え、いまロンドンに向かわせる。〈和歌山オレンジ体操クラブ代表〉兼〈和歌山北高校体操部顧問〉である。
次の苦労。
「子どもに〈集中〉を教える、これが大変なことなのです。子どもの仕事は、勉強と遊びと社会性を学ぶ、これしかない。スポーツに時間を奪られて勉強がおろそかになる子もいる。だから、国語、算数、理科、社会も練習も集中しろと。それを繰り返し指導します。
体操では、鉄棒の着地をよろめいた。となったら、着地を集中練習で徹底します。〈分習法〉と呼んでいます。この〈集中〉の会得に膨大な時間と手間、それに忍耐がかかるのです」
大阪なんばから南海線〈紀ノ川駅〉で降りる。北高校の校門を入ると、すれ違う生徒がみな声をあげ礼儀正しい挨拶を返してくる。
県内唯一、体育科のある高校だが、体育館は老朽し、冷暖房の設備もない。隅の体育教官室でジャージ恰好の田中氏に会った。東京オリンピックをテレビで見て体操をめざし、「NHK杯2、3度出場」した人である。
本人と家族――第3の苦労。
故障、けが、病気以外では、365日、練習は休めない。たとえば、〈北高校体操部〉男子3人、女子9人の時間割。授業が終わり、4時にクラブ活動を始める。機材の搬出、セッティングに1時間ほどかけ、9時まで練習。機材をしまうのに、また1時間。10時、退校。
この生活を、田中3兄妹は小学低学年から高校を出るまで続けてきた。休めない。だが年齢があがると、子どもは自我を訴えるようになる。
田中理恵は体操の盛んな高校には行かず〈和歌山北高〉に進み、大学卒業時は郷里で教師になるのではなく、大学院に残って体操をつづけた。いずれも父の思惑とはちがった。
「理恵は一時太ったときもありましたが、自分で矯正し、とうとう恋人もつくりませんでした」
※週刊ポスト2012年8月3日号