【書評】
『道・白磁の人 浅川巧の生涯』(小澤龍一/合同出版/1470円)
【本の内容】
朝鮮半島に渡った浅川巧は、朝鮮総督府に勤務しながら朝鮮の雑器、陶磁器を収集して「用の美」を発見。後に朝鮮の美の発見者と称され、柳宗悦に影響を与えた彼の一生をたどる。後半は、映画『道・白磁の人』の実現までの道のりの記録。
【評者】皆口育子(フリーライター)
二股・塩谷瞬が舞台挨拶に登場して、志とは違う注目を浴びてしまった映画『道・白磁の人』。本書の著者はこの映画の製作委員会の事務局長を務めた人である。本の前半は「民族の壁を超え時代の壁を超えて生きた人」と副題にある浅川巧を紹介。後半は巧の故郷、山梨県の人たちが江宮隆之著の小説『白磁の人』を7年かけて映画化するまでのドキュメンタリーになっている。
浅川巧は日本が朝鮮を強制併合していた1914年に京城(現在のソウル)に移り住む。そして、ここでふたつの偉業を成し遂げる。
ひとつは朝鮮総督府の林業試験所の職員として丸坊主になっていた朝鮮の山々に緑を取り戻したこと。もうひとつは、兄の伯教と共に白磁に魅せられ、日用品として評価が低かった用の美を発見、研究し、伝えたこと。兄弟がその魅力を柳宗悦に教えたことが民藝運動に発展していったのである。
巧は日本人が朝鮮人を蔑視していた時代に、朝鮮語を覚えて現地の人たちと親しくつきあうばかりか、学費がない子供たちには奨学金まで出してもいた。彼が40才で早世したとき、朝鮮の人たちが大挙して葬列に参加したことは語り草になっている。巧は当時としては珍しく「朝鮮人を愛し、愛された日本人」として、いまも韓国で敬愛されている。
浅川巧に関する本は何冊か出ているが、本書は彼の子供時代にまで遡り、社会情勢まで盛り込んでいるところが新しい。
後半は山梨の人々が映画を完成させるまでの苦労話が満載である。映画を作る大変さに加えて、植民地時代の朝鮮を映画化する難しさ、日韓の歴史認識の深い溝などに著者たちは翻弄される。
最初に決まりかけた監督にはさり気なく逃げられ、次に組んだシネカノンは倒産。在日韓国人の無礼な振る舞いや脚本の内容、新聞が「日韓併合百年の節目に上映」と書いたことなどで、韓国側はたびたび態度を硬化させ、映画が暗礁に乗り上げそうになる。
読んでいるだけで胃が痛くなるような7年間だが、著書は誰に対しても恨み言は書いていない。清濁併せ呑んで目標に向かって進み、協力者を讃え、脱落した人にも温かい目を向け、ここにも現代の浅川巧がいると思わせる。
韓流スターだけでなく、これを読んで浅川巧のような人がいたことを知って欲しい一冊である。
※女性セブン2012年8月9日号