球児たちの汗と涙だけでは、勝利の女神は微笑まない。球場をいかに味方につけるか、アルプススタンドの声援をいかに呼びこむか。青春甲子園の舞台裏を覗いてみると、“策士”たちの知略が張り巡らされていた。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。<文中敬称略>
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花巻東(岩手)には、試合前に行なう神聖な儀式がある。
「花巻東、7分間の練習を開始してください」
ウグイス嬢によるアナウンスが流れると、ナインが全力疾走で散らばり、ノッカーを務めるコーチの松田優作が、オーバーアクションで鋭いノックを放つ。7分の締めくくりは、花巻東オリジナルのボール回しだ。内野手が声を張り上げ、ダイヤモンド内に2つのボールを交叉させながら、勢いよくボールを回していく。
2009年に菊池雄星を擁して準優勝を果たし、今年は最高速160キロの怪物右腕・大谷翔平がマウンドに君臨する花巻東は、今夏の出場こそ叶わなかったが、ここ数年で最も甲子園を沸かせてきたチームだろう。花巻東野球を象徴するのは、菊池や大谷ら“個の力”ではなくシートノックとボール回しである。松田が明かす。
「ボールを2つ同時に回すのは全国でもうちだけ。試合に向けた気持ちを高めると同時に、控え選手はこのボール回しがやりたくてベンチ入りを目指すんです」
花巻東の「2ボール回し」は、いまや甲子園名物となった。同校には試合中にも名物がある。一塁への極端な全力疾走だ。たとえ完全にアウトのタイミングでもスピードを落とさずベースを駆け抜け、さらにライト線に沿って全力疾走を続ける。球児たちの懸命な姿を“魅せる”ことで甲子園を埋めた高校野球ファンを花巻東ファンへと誘うのだ。
「結果として甲子園を味方につけることにつながればと思っています」(同前)
野球留学全盛のこの時代に、とりわけ東北圏には大阪第2代表のような高校があふれている中、全選手が地元出身というのも、花巻東が好感を抱かせる要因だ。現在、週刊ヤングマガジンで『砂の栄冠』を連載する漫画家の三田紀房は、実際に足繁く甲子園に通い取材を行なう中で“観客をいかに味方に付けるか”を作品の裏テーマとした。
「ユニフォームを格好よく着こなすのも、観客を味方にする一つの手です。PL学園(大阪)は伝統的に袖が短いユニフォームを着て、身体が逆三角形に見えるように着こなす。ものすごくスタイリッシュに映りますよね。中京大中京(愛知)のようにワンサイズ小さいユニフォームを着て太股をパンパンに見せる着こなしもいいし、鹿児島実業(鹿児島)のようなクラッシックスタイルも野球ファンの心をとらえます」
※週刊ポスト2012年8月10日号