素人によるH写真の投稿は、雑誌への投稿だけでなく、近年はSNSなどネットへの投稿も盛んになっている。この現象について、「援助交際」を研究・発表して脚光を浴びた社会学者・宮台真司氏はどう考えるか。
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素人投稿にも男と女それぞれに歴史があります。 まず1980年代に『荒木経惟の偽ルポルタージュ』(1980年、白夜書房)や『アクション・カメラ術』(1981年、KKベストセラーズ)などに触発された世の男性が、同時多発的にハメ撮りをするようになり、その写真を雑誌に投稿するようになりました。
当時は女性がナンパ慣れをしていなかったために、男性にはまず女性を口説く苦労があり、ナンパに成功したとしても撮影に臨む女性がどう応じればいいのか分かっておらず、撮影者と被写体の関係も不安定で未規定でした。それゆえ投稿雑誌に掲載されるハメ撮り写真には得体の知れない面白さがあった。ハメ撮りのプロセスが非常にチャレンジングでしたから、その緊迫感が写真にも表われていたのです。
そして1986年に佐々木教氏の『早い話がナンパの本』(ロングセラーズ)という本が発売されると、「ナンパ」「ハメ撮り」という言葉がより一般化された。男性にも女性にもハメ撮りに対する免疫ができて、ポラロイドカメラなどを使ってハメ撮りをするパンピー(一般人)がものすごく増えた。同時期にはアダルトグッズ販売機が路上に置かれるようになり、縛りや目隠しやバイブ、複数プレイといったようにセックスがどんどんエスカレートしていったわけです。それに比例して写真投稿も過激なものになっていきました。
一方、女子による投稿の歴史は男子より古く、戦前創刊の『婦人公論』などに夫婦や性の悩みを投稿する文化が根強くありました。
しかし、1990年代に流行する『egg』(1995年創刊、大洋図書)のようなティーンズ誌やギャル雑誌への性体験投稿は別の流れを汲んでいます。1980年代後半から日本の女子高生の性体験率はめまぐるしく高まっていきましたが、反面、日本の男子は性的な社交術、ホスピタリティに乏しい。次第に女子はありきたりにラブホテルに行き、フラットで盛り上がりに欠けるセックスに飽き飽きし、だからこそそれら雑誌に性の不満をぶつけ、「お金をもらわないとセックスなんてやっていられない」と援助交際に走ったわけです。
そして2000年代に入り男女の投稿の歴史が交錯する。インターネットが普及したことによって、男性も女性もブログやSNSにハメ撮り画像や文章を投稿するようになりました。男子はこれほどの上玉を落としたんだと戦利品を誇示するようにハメ撮り画像を投稿し、コメント欄で第三者に褒めてもらうことに快感を覚えるようになった。一方の女子は自分にもっともっとかまってもらいたくて、ツイッターなどのSNSに私生活を晒け出すようになりました。
一概に素人投稿といっても、その始まりと現在では大きく性格や形態が異なるし、男女の目的も違います。投稿には時代性が投影されるわけですが、ハメ撮りがエスカレートし、露出もより過激になっているからといって、性的な営みが豊かになっているわけではない。むしろ稀薄になるばかりでしょう。相変わらず男子は一時の快楽を求めるばかりで、そんな男子に女子は辟易している。
これは投稿文化が引き起こした害悪かもしれません。性の豊かさを取り戻すには、今一度、異性の快楽を自らの快楽と感じられるような、シンクロ率(同調性)の高いセックスを心がけることだと思います。
※週刊ポスト2012年8月10日号