ロンドン五輪体操男子個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手(23才)。ロス五輪の体操個人総合の金メダリストで、北京五輪では男子体操の監督を務めた具志堅幸司さん(55才)は、当時3才だった内村少年と会っていた。
それは、内村の父・和久さんが長崎県諫早市に体操教室を開いた時のこと。日本体育大学で若かりしころの和久さんを指導した具志堅さんは、その体操教室を訪問したのだ。
「ぼくが小っちゃな航平を抱きかかえて、将来はどうするの?って聞いたんです。すると“体操選手になる。具志堅先生のところで練習する”というんです(笑い)。たくましい子だなと思いました」(具志堅さん)
具志堅さんは目を見据え、しっかり答えた内村の口調に、すっかり感心したという。
その後、内村は東京の東洋高校に入学すると、当時体操界のエースだった塚原直也選手と同じクラブで、体操の練習を行うようになった。力をつけ始めた2006年、環太平洋選手権にジュニアの部で出場していた内村の姿を、具志堅さんは偶然目にする。内村が3才の時以来、十数年ぶりの再会だった。
「身のこなしの美しさや柔軟性、体のひねりの正確さとスピードも素晴らしかった。何十年に1人の天才だと思いました。ぼくはしばらく震えが止まらなかった」(具志堅さん)
さっそく具志堅さんは内村を日体大にスカウトした。当然二つ返事で受けてくれると思っていた具志堅さんは、内村の返事に愕然とする。
「ぼく、楽しい体操をしたいんで順天堂大学に行きます。世界一になる気はないんです」
どうやらこのころ、内村は翌々年に控えた北京五輪への夢を忘れかけていたらしい。諦めきれない具志堅さんは、こう切り返した。
「内村君、3才の時のぼくとの約束を覚えていないの?」
「えっ、それってなんのことですか。全然覚えてません」
具志堅さんの元に数日後、和久さんから電話がはいった。
「息子から進学先のことで連絡がありました」
内村と父はじっくり話し合った。日体大は猛練習で知られる。スポーツ専門大学だけに、競技で挫折した際の潰しはききにくい。だが、男は背水の陣で臨まねばならない時がある。ちょうど体操クラブを立ち上げたころの父のように。
「やっぱり具志堅先生に指導していただきます」
しかし、父は口ごもった。
「航平は、かなりマイペースなんです。先生には、ご迷惑をおかけするはずです…」
具志堅さんも、実際に内村には手を焼いた。
「なるほど、聞きしにまさるガンコ者でした。でも本人が納得したら、それはもうとことん追究し上達していく。天才型に多いタイプです」(具志堅さん)
そして内村は、素質を見事に開花させ、北京五輪代表となる。
※女性セブン2012年8月16日号