グローバルリーダーには理系出身者が多い一方で、日本の大企業ではまだまだ文系出身者が多い。原発事故で対応が批判された東京電力のトップは、“東大文系”ばかり。原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長が、原子力の安全規制当局としての責任を追及された際に「私は文系なので…」と呆れるいい訳をしたことも記憶に新しい。ということはいま求められる日本のリーダーは理系? しかし、そう単純な話でもなさそうだ。『理系バカと文系バカ』の著者があるサイエンス作家の竹内薫氏に聞いた。
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グローバルな企業のリーダーには、理系的センスが絶対に必要です。リーダーは、さまざまな経営判断を求められたときに会社の利益を考え的確な判断をしていく合理性、社内、社外とも交渉し相手を納得させる論理性などが求められます。こうした点が追求できるのが理系の長所で、文系との大きな違いといえます。理系の人は、感情よりも理性で動いていますので、冷静にリスクを予測することにも長けていると思います。
ただ、単に理系というだけではダメ。理系リーダーには、現実主義者的な要素が不可欠だと思います。つまり、いまある環境や社会の状況に合わせて臨機応変に自分の考えや、グループの方針を変えていかないといけない。大学の理系学部出身で総理大臣となった鳩山由紀夫、菅直人の両首相の例をみてください。鳩山さんには“友愛”という主張があり、菅さんだと市民運動出身ということからもわかるように確固たる考えみたいなものがベースにあって、それによって国を動かそうとしたわけですよね。
でも、それがうまく機能しなかった。共産主義諸国の衰退をみてもわかるように、世界の例で見ても理想論で世界が動いているわけではありません。ある意味では現実主義者的な要素をもって現実に即して柔軟に対応していかなくてはならないのです。
とはいえ、いま理系リーダーが企業や国のトップになったとして、グループを牽引していくことができる状況なのかというと社会システムはそうはなっていません。日本の社会システムは、規則ばかりの閉塞状況にあります。アメリカの社会システムは“事後評価型”であり、日本は“事前調整型”という専門家の指摘があります。
例えば、会社が何か事業を立ち上げるとき、特許や商標などの権利問題などで既存の企業との確執が生まれるケースも出てくるわけですが、事後調整型のアメリカは、事業を始めてその後に、調整して適当なところで着地点を見つけます。ところが日本の場合は、例えばベンチャーを立ち上げようとすると、事前調整の段階で、ほかのライバル企業や役所によって潰されてしまうことが非常に多いです。
アメリカのように事前調整する必要のないゼロからスタートできる社会システムがあって、初めて理系リーダーの力が生かされると思います。最近の日本で、アメリカのグーグルやアップルのような世界をリードする企業が出てこないのは、こうした社会システムにも問題があると考えられます。