【映画評】ヤン・ヨンヒ監督「かぞくのくに」(8月4日よりロードショー)
【評者】川本三郎・文芸評論家
北を故国と思っている在日の人たちはいまつらい思いだろう。故国に自由はない。多くの人間が飢えに苦しんでいる。その現実を知っていながらなお家には金日成や金正日の写真を飾らなければならない。国家と国民とは違うとひそかに思いながら。
在日コリアン二世になるヤン・ヨンヒ監督(一九六四年生まれ)の「かぞくのくに」は、若い時に北に行った兄(井浦新)と、日本に残った妹(安藤サクラ)、そして両親(津嘉山正種、宮崎美子)の引き裂かれた家族愛を描いていて深い感動がある。ヤン・ヨンヒ監督の、妹としての実体験が反映されている。
一九九七年。北にいる兄が病気療養のため短期間だけ許されて日本に帰ってくる。二十五年ぶり。家族は温かく迎える。
しかし、どこかぎこちない。兄はほとんど笑顔を見せないし、口数も少ない。ホンネなど話せる筈もない。それを分かっているから両親も当り触わりのないことしか言えない。自由な日本に育った妹は、そんな状態にいらだつが、兄のあきらめに似た沈黙の前には何も言えなくなってしまう。
家族なのに本当のことが言えない。北の権力の前に怯えなければならない。兄には北からの監視員まで付いていて、いつも兄を見張っている。妹はついにこの監視員に怒りをぶつける。
「あなたもあなたの国も大嫌い」
勇気ある言葉だが、そう言えるのは妹が自由のある日本にいるから。兄も、そして監視員もたとえそう思っていたとしても口に出すことは出来ない。妹に答えて監視員が苦しそうに言う言葉が重い。
「あなたが嫌いなあの国で、お兄さんも私も生きているんです。死ぬまで生きるんですよ」
在日の北への帰還は一九五九年に始まった。吉永小百合の少女時代の感動作、浦山桐郎監督の「キューポラのある街」(1962年)で描かれたように、あの時代、北は理想の国と信じられていた。在日への差別もいまと比較にならないほど強かった。北への帰還は仕方のないところがあった。それが想像をはるかに超える悲劇を生んでしまった。
日本で束の間の“春”を過ごした兄は、予定の三ケ月にならないうちに故国から突然、帰還を命じられる。「よくあることなんだ」「従うしかないんだ」と言って兄は寂し気に帰ってゆく。そこには「かぞく」がいるのだから。
※SAPIO2012年8月1・8日号