「いまもなお、土俵の上には免れて恥なき八百長力士たちがいる」。昨年春、八百長に関与したとして角界を去った元幕内力士・山本山(本名・山本龍一=28歳)がついに重い口を開いた。語られたのは、国技にはびこる八百長互助会の深奥。
山本山は埼玉県出身。子供たちのわんぱく相撲で活躍し、中学3年の時には関東大会で個人優勝。埼玉栄高時代も世界ジュニア重量級で優勝するなど華々しい成績を上げ、大学相撲界きっての名門・日本大学に進学した。
「お金のやりとりはないが、わざと負けることを八百長というのなら、実は、日大相撲部時代からありました。日大は学生相撲界では突出して強かったので、大会の個人戦ではベスト8ぐらいになると日大勢しか残らないことが多い。そのなかで、タイトルを取ったことがない選手に取らせてやるということがあったんです」(元山本山・以下「」内同)。
そして元山本山はこう続ける。
「他校の選手には負けられないけど、日大の誰かが優勝して、大学のメンツが保てるならそれでよかった。チーム戦と思ってやっていたので、八百長という意識は薄かったですけどね。自分は大学時代に5つタイトルをとっています。3年生のときの全日本大学選抜相撲十和田大会と、4年生の七尾大会では相手が負けてくれました。取組するまで知りませんでしたが、いつも練習で当たっている仲間だからわかるんですよ。あッ、コイツいま手を抜いたなって。実際に自分も『負けてやってくれ』といわれたことがありました。これが僕の八百長相撲の最初の経験でした」
本誌は日大相撲部に取材をしたが、書面にて「そのような事実はない」という回答があった。山本山は2007年に日大を卒業し、尾上部屋(親方は日大OBの元濱ノ嶋)に入門。順調に勝ち上がり、2008年9月には早くも十両に昇進。関取となった。
※週刊ポスト2012年8月17・24日号