8月9日は「反ロシアデー」だ。1945年の同日にソビエト連邦が日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告し、その後に北方領土を占領した。例年この日は、駐日ロシア大使館前などで大規模な抗議活動が行なわれる。しかし、抗議が盛り上がっても日露首脳による領土交渉は行き詰まったままだ。外務省が対ロ外交で失態を続ける実態を元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏が解説する。
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7月28日、玄葉光一郎外相がロシア南部のソチを訪れ、ラブロフ外相と会談した後、プーチン大統領を表敬した。外務省は、ロシアの大統領が日本の外相と会うのは10年ぶり(前回は2002年10月に川口順子外相の表敬を受けた)ということで、「ロシアが日本を重視している」と宣伝している。実態は、ロシアは日本を軽く見ている。
〈玄葉氏は会談でロシアのメドベージェフ首相が7月3日に国後島を訪問したことについて「双方が相手国の国民感情に配慮してものごとを進めていく必要がある」と抗議した。ラブロフ氏は会談後の共同記者会見で「訪問への抗議は受け入れられない。(今後も要人訪問を)控えることはない」と明言。「抗議は正常な対話に必要な雰囲気づくりに役立たない」とも語り、日本の反発は領土交渉にマイナスだと主張した。〉(7月29日、朝日新聞デジタル)。
玄葉外相はラブロフ外相に完全に押し切られた。今回の日露外相会談の結果、「ロシア高官が北方領土を訪問しても日本は文句を言えない」というゲームのルールが定着した。ロシア側の完勝だ。なぜこのような事態になってしまったのか。それには以下の事情がある。
6月18日(日本時間19日)にメキシコのロスカボスで行なわれた日露首脳会談において、日本外務省は、「両首脳は、領土問題に関する交渉を再活性化することで一致し(た)」(外務省HP)と発表した。
しかし、それから約2週間後の7月3日、メドベージェフ露首相が、北方領土・国後島を訪問した。北方領土交渉を「再活性化」させるという首脳間の合意にもかかわらず、それに反するロシアの暴挙に国民は憤慨した。
しかし、7月5日付産経新聞と朝日新聞朝刊が、ロスカボス首脳会談で野田佳彦首相もプーチン大統領も「再活性化」という言葉は一度も発していないと報じた。同日の記者会見で藤村修官房長官は、〈「その言葉(引用者註 ※再活性化)を使ったかどうか精査をしたところ、なかった」と発言自体はなかったことを認めた。ただ、「『再活性化』という言葉が実態と食い違っていることはまったくない」とも述べ、政府の説明に問題はないとの認識を強調した。〉(7月5日、MSN産経ニュース)。
藤村長官は、「『再活性化』という言葉が実態と食い違っていることはまったくない」と外務省を守っているように見えるが、そうではない。
ロスカボス会談のブリーフィング(説明)は、首脳会談に同席した外務官僚(小寺次郎欧州局長、原田親仁駐露大使)が作成したメモに基づいて長浜博行官房副長官が行なった。ブリーフィング自体が実態と食い違っているということになると首相官邸に責任が及ぶのでこういう表現になっているのだ。
「再活性化」という言葉がなかったことを藤村官房長官が会見で公式に認めたこと自体が、外務省に対する強い不満を表明したものだ。言い換えると、藤村長官が外務官僚に対して、「いいかげんなメモをあげて、よくも首相官邸に恥をかかせてくれたな」というシグナルを出したのだ。
外務官僚は必死になって、ロスカボス会談で、言葉では出なくとも意味としては、北方領土交渉の「再活性化」で日露首脳が合意したと強弁した。この強弁を正当化するために、玄葉外相の訪露では、ラブロフ外相との会談で「再活性化」について明示的に合意し、その上でプーチン大統領表敬を実現して外務官僚の失敗を取り繕おうとした。
ロスカボス会談で、野田首相がプーチン大統領に秋田犬を寄贈すると約束したので、この犬の引き渡しを理由にすれば大統領表敬が実現すると考えた。事実、「犬外交」によってプーチン表敬は実現したが、それは北方領土問題など難しい問題を持ち出さないという条件付きでなされたものだ。
さらに、「再活性化」を確認するという外務官僚の目論見は完全に外れた。日露外相会談の記者ブリーフィングで外務省の岡野正敬ロシア課長は、「再活性化という言葉は今回の外相会談では使われていません」とはっきり述べた。ロシア側との事前折衝で玄葉外相がラブロフ外相に「北方領土交渉の再活性化」を呼びかけても肯定的回答が来ないという感触を摑んだので、破綻が露呈することを避けるために日本側の発言要領に「再活性化」という言葉を入れなかったのであろう。
※SAPIO2012年8月22・29日号