7月某日、球界の重鎮が一堂に会した。「育成の鬼」と呼ばれた関根潤三氏、「野武士軍団」の豊田泰光氏、「350勝投手」米田哲也氏。球界の草創期から活躍し、すべてを知りつくした3人が、古のプロ野球を振り返る。
* * *
豊田:しかしこの頃は野球を見ていても面白くないね。何だこのピッチャーは、このバッターはっていうヤツばかりで、つまらんよ。
関根:基礎体力が違うように思うかな。昔の方が安心して鍛えられたっていうか、今は体を心配しながら練習している感じだよね。
米田:故障にも強かった。ただただ走らされましたけど、あれが良かったんでしょうね。
関根:昔は叩かれてやらされて、ヘド吐いてたから。
豊田:喧嘩するヤツもいないね。昔は豪傑が多かった。殴り合いをしろとはいわないが、野球で喧嘩をするくらいの迫力がほしいんだ。
米田:今の選手は文句から始まりますしね。ピッチングコーチをしていても、こうやれというと「肩を壊したら補償してくれますか」とか平気でいいよる。アホか、投げられんようになったら家業継いだらええ。それがプロちゃうんか、と。
豊田:すぐ「痛い」というしな。
米田:甘いんですわ。よっぽどじゃない限り、僕らは痛いなんて口に出せませんでしたよ。投げられる痛さと、投げられない痛さを身体で覚えていた。痛いといって休んだら、あっという間にクビですからね。
関根:それで、ボクらの頃とはケタ違いの年俸をもらっているんだからね。
米田:昭和30年代の大卒の初任給が1万3800円、という歌謡曲が流行りましたが、当時の僕の給料は当時3万円。昔はサラリーマンが基準で、その2倍程度でしたよ。上げてくれといっても「前例がない」と繰り返すだけ。「前例は破るもんや」って契約更改で大喧嘩したけど、ダメでした。
関根:プロ野球に注目が集まり、待遇が改善されたのは、長嶋が巨人に入団してからだよ。それまで世間には、スポーツをやって金儲けとは何事かという空気があった。ウチの親父なんて、息子がプロ野球へ入るのが恥ずかしくて猛反対したんだよ。自分は愛人を囲ってたくせに、どっちが恥ずかしいんだよと。
※週刊ポスト2012年8月17・24日号