大津市の事件をきっかけに、次々と発覚するいじめ問題。それにしても、中学生たちの間で、なぜ狡猾で、陰湿ないじめが繰り返されるのか。いったい子供たちには何が起こっているのだろうか。
1980年代中頃までは、校内には、丈の長い学ランを着た、リーゼント頭の“ヤンキー”と呼ばれた不良少年たちがいて、誰が見ても問題児であることがわかった。
しかし、いまの学校には、他の生徒と比べて明らかに異質だとわかる存在感のある子供は少ない。つまり見た目では、誰が問題児かはわからないのだ。いじめの歴史的変化について、著書に『〈非行少年〉の消滅 -個性神話と少年犯罪-』(信山社出版刊)を持つ筑波大学社会学科教授の土井隆義氏が語る。
「1990年代になると、殴る、蹴るといった暴力的ないじめよりも、陰で悪口をいったり、無視をするといったコミュニケーション型のいじめが目立つようになりました。これはもともと女子に多かったんですが、男子も女子化して増えていったわけです」
コミュニケーション型のいじめの例には、2008年10月に埼玉県さいたま市で起こった中3女子生徒が自殺した事件がある。彼女は、同級生のプロフ(自分のプロフィールを紹介したホームページ)に「キモイ」「一緒にプールに入りたくない」「うまくいけば不登校になるかも」などと書き込まれ、遺書を残して命を絶った。このように言葉によって精神的に追い詰めるのが、コミュニケーション型のいじめだ。
著書に『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社刊)がある社会学者の中西新太郎氏は、こう話す。
「暴力ならば見た目にもわかる傷があったり、大人や周囲の目もあって見つかりやすいのですが、いまはそれがないためにエスカレートすると発見しづらく、歯止めがきかなくなって最悪の事態が起こってしまうことが多いのでしょう」
背景にあるのは、友人関係の築き方の変化だ。ひと昔前の子供は、近所や学校で自然とつながりができて友達となっていった。だが中西氏は、「現代社会では、友人関係構築が難しい」と続ける。
「“メールアドレス教えて”とか“一緒にプリクラ撮ろう”とか、友達は“努力”しないとできないんです。そんな関係ですから、メールはするけど、その相手のことをよく知らないということは珍しくありません」
いまの子供たちは、どうしてそうした方法をとってまで友達を欲しがるのだろうか。
「彼らは孤立することに対する不安が異常に強いのです。だから、誰かと友達でなければならないというプレッシャーが非常に強いんです」(前出・土井氏)
※女性セブン2012年8月23・30日号