7月29日、20万人ともいわれる人々が国会を取り囲み、原発再稼働反対のキャンドルを灯した光景は、1960年に日米安保条約に反対する数十万人の学生デモ隊が国会に押し寄せ、時の岸信介内閣を退陣に追い込んだ歴史を彷彿とさせた。
実は、安保闘争と原発再稼働反対デモ以外にも、様々な点で1960年と2012年は似ている。
1960年には、ローマ五輪が開かれた。日本勢は男子体操で団体総合を含む4つの金メダルを獲得。体操王国ニッポンのスタートとなった。ただし、競泳やレスリングといった、前大会まではお家芸だった種目で金を逃し、全体としてはやや低調だった。1960年当時は4年後に東京五輪を控えていたが、2020年に2度目の東京五輪は実現するか。
電波塔として東京タワーが完成した2年後の1960年、NHKなど6局がカラーテレビの放送を開始した。一方、今年はスカイツリーが完成し、デジタル放送に移行している。
日本初の商用原子力発電所である東海発電所の建設工事着工もこの年。反対運動は一部で起こったが、その後、福島など各地で原発が建設されていった。
芸能では、元祖アイドルユニットといわれるザ・ピーナッツが初期の代表曲『悲しき16才』を発表し、ブレイクした。今年メンバーの伊藤エミさん(享年71)が亡くなった際には、AKB48などアイドルブームの「原点」と評された。
※週刊ポスト2012年8月17・24日号