『メルマガNEWSポストセブン』では、ビートたけし、櫻井よしこ、森永卓郎、勝谷誠彦、吉田豪、山田美保子…など、様々なジャンルで活躍する論客が、毎号書き下ろしで時事批評を展開する。本サイトでは8月10日に配信された27号より「勝谷誠彦の今週のオピニオン」の一部を公開する。
《煮え切らない政局。永田町では政治家たちによって醜い“茶番”が繰り広げられている。他方で、海を越え、ロンドンでは日本人選手たちが喝采を浴びている。今、私たちの心を掴んでいるのは間違いなく後者だろう》
勝谷氏は、今まさに美しく躍動している日本人アスリートたちが示した「この国の本質」について語る──。
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女性選手たちの「しのぐタフさ」にも目を奪われた。サッカーのフランス戦で、雨あられと降りそそぐゴールを防ぎきるタフさ。中国を相手のバレーボールを5セット戦ってたったの2点差で逆転勝ちするタフさ。そこに私は技術を超えた何かを見た。
またスポーツには素人のモノ書きの勝手なことを呟こう。これは女性が「真の危機」に迫られた時に起動する何かしらの本能ではないのか。東日本大震災や福島原発の事故のあと、私は子どもたちを連れて移住していく女性のそれこそタフさに驚かされていた。母性を持つ女性にはそうした「スイッチ」が入ることがあるのかと感じた。もちろん直接被災地とかかわりのないアスリートたちもいる。しかし今回の国難は、この国の女性たち全体に、本人も気づかないままに何かの影響を与えたのではないかとすら、私は想像をたくましくしたのだ。これまでの「根性」や「精神力」などでは説明しきれない何かが、日本の若者たち、特に女性たちの中に起きているように思われてならない。
そのことに何人かの指導者は気づいていた。そして見事に引き出していた。私はそれを「監督力」と名付けた。女子サッカーの佐々木則夫監督の「監督力」はもはやよく知られているが、今大会では際立って見えた。時折映し出されるその表情は、記者会見でのあのジョークを交える穏やかなものではなく、まさに鬼の形相だった。彼のこの本質をこれまで知らなかった自分を恥じた。
卓球の女子の団体戦では、村上恭和監督が「奇襲」を敢行した。平野早矢香選手と石川佳純選手のペアを繰り出したのだが、相手は全く対策を立てていなかった。実はここまで、練習は積みながらもいちども国内外の大会にこのペアでは出してこなかったのだ。まさに五輪という最高の舞台に使うための秘策であった。
54歳の村上監督は勝利が決まると男泣きしていた。選手は娘ほどの年齢である。他の競技でも、まさに親子ほど年齢が違う世代間のコミュニケーションがまことにうまくいっているように私には見えた。「失われた20年」を経て日本人は自信を失ったと言われるが、それは良く言い換えれば謙虚にもなったのではないか。指導する側も、される側も相手の人間性を尊重するようになったのではないか。その結果が、たとえメダルの色が金ではなくとも、全員で喜び合うあの空気につながっているのではないか。見ていて「感動的」というよりも「すがすがしい」風景が多かった。日本国のスポーツはかわったと痛感した。
「家貧しくして孝子顕る」と言う。
日本国の逆境は悪いことばかりではないと、ロンドン五輪は感じさせてくれた。アスリートたちの父親に当たる年齢のものとして、すべての関係者に感謝したい。
目を転ずれば、今日も愚かなことが国政や行政の場で行われている。しかし、常識的に考えて、人材がスポーツの世界だけに偏るわけではあるまい。政治の世界にも官僚の世界にもメディアの世界にも必ず磨けば光る才能はいるはずなのだ。
「監督力」がもっとも欠けているのだろう。私自身も含めて、この世代は猛省しなくてはいけない。今からでも遅くない。永田町や霞が関に巣くうメダルどころか「反則ばかりしている奴ら」にレッドカードを渡すべく、次のプレイヤーを真剣に探そう。
そんなことはできまいと思っているから、奴らは居すわっているのである。やってやろうじゃないか。来るべき解散総選挙をいわばその「予選」として、私たちは眦(まなじり)を決して、スタートラインに立とう。