近年の日教組には、若い教員はあまり加入せず、組織率は右肩下がりで、その力は年々衰えている――そんな解説を耳にすることが多いかもしれない。確かに数字だけを見ればそうだ。しかし、日教組はいまだに選挙で集票マシンとしてフル稼働し、その力で政治の意思決定に大きな影響を及ぼすのだ。教育評論家の森口朗氏が解説する。
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政権交代が起きた衆院選の翌2010年、民主党の小林千代美前代議士の選対幹部が政治資金規正法違反で逮捕され、小林氏が辞職したことは大きく報じられたからご記憶の読者も多いだろう。小林氏に違法献金していたのは、日教組傘下の北海道教職員組合(北教組)であり、その委員長代理は小林氏の選対委員長だった。
参院民主党のドンと呼ばれる輿石東・党幹事長は日教組の下部組織でも、特に高い組織率を誇る山梨県教組の執行委員長だったことで知られ、党内には日教組出身者や選挙時に支援を受ける議員は山ほどいる。
日教組そのものは、巷間言われている通り組織率も組合員数も下降の一途を辿っている。私は、現在の教育現場で起きている問題の根本原因が日教組だけにあるとは考えない。むしろ、「子供に競争を強いる学力テスト=悪」といった“日教組的な思想”が、教育委員会を中心に蔓延していることが問題と考える。
しかし、弱体化する日教組が、政策決定への大きな影響力を誇っていることだけは見逃せない。問題を深刻にしたのは、2009年の政権交代によって民主党が政権与党となったことである。
日教組の組合員は30万人を割り込み約27万人となったが、「野党の側の27万人」と「与党の側の27万人」では影響力は全く異なる。約30万人と言えば、かつて自民党を支えた日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会(いわゆる三師会)の合計人数と同程度の規模となる。与党時代の自民党の医療行政に三師会が与えた影響に匹敵する力を、民主党政権下で日教組が握ったわけである。
本業であるはずの教育を捨て置き、政治活動に邁進する日教組が政治家を使って何を目論んでいるのか。それは、政権交代後の民主党政権下で、教育行政がどう変えられてきたのかを見ればわかる。
日教組が実現させた政策の象徴が「全国学力テスト」の“骨抜き”だろう。
「学力低下」に対処すべく、自民党政権は2007年に「全国学力テスト」を復活させた。ところが、当初予定された悉皆調査(全員が受験する調査)は、民主党政権によって、サンプリング調査に変更されてしまった。
全員がテストを受け、自治体ごとや学校別、クラス別の成績データを公表すれば、生徒・保護者の学校選択の多様化、不適格教員の把握に繋がると期待された。しかし、「学力の把握はサンプリングで十分」という日教組の主張に沿うものに政策が歪められてしまった。
学校やクラスごとの成績が明らかになって困るのは、指導力不足を知られたくない教員、学校経営や行政管理を問われたくない校長や教育委員会の役人である。つまり、自分たちの無能を暴露するような政策は許せないのだ。
また、児童生徒の学力低下と同様に喫緊の課題となっている「教員の指導力低下」にも同じことが起きた。2006年に安倍政権が不適格教員の排除を目的に創設を掲げ、その後の自公政権で導入された教員免許更新制度は、政権交代とともに見直しが打ち出され、“お蔵入り”にされる方向だ。
教員から教育委員会までが、日教組的な思想を共有する巨大な一つの利権集団化し、その利権を死守するために政治家に圧力をかけるのが日教組という構図である。
大津市のいじめ自殺問題では、いじめと自殺の因果関係を認めようとしない学校や教育委員会に国民の批判が集中するなか、輿石氏が7月19日の会見で、「学校が悪い、先生が悪い、教育委員会が悪い、親が悪いと言っている場合じゃない」と発言した。「誰の責任も追及しませんよ」というメッセージである。こういった人物が政権中枢にいることも、政治集団としての日教組があげた“成果”の一つだと言えるだろう。
また、日教組の政治力は、組合や教委に批判的な改革を断行しようとする候補にネガティブ・キャンペーンを張る形でも機能する。昨年11月の大阪市長選で改革を掲げた橋下徹氏の対立候補を、袂を分かったはずの日教組と全教(日教組から分裂した共産党系の教員組合)が揃って支援していたのはその典型である。
※SAPIO2012年8月22・29日号