モデルと料理研究家との二股騒動で脚光を浴びた俳優・塩谷瞬(30)。母親の顔すら覚えていないという彼は小学校時代に不登校になり、極貧の生活を送ったという。そして、父とも別れを迎える……。プロインタビュアー・吉田豪氏が塩谷と父との別れについて斬り込んだ。
――お父さんとはいつぐらいから会ってないですか?
塩谷:いつだろう? まあ、15歳ぐらいのときに、最後、ほんとにちょっと死闘があって。
――……死闘ですか?
塩谷:最後、もう家のものをすべて焼き尽くして、やつは俺を殺しかけて逃げていったので。警察が来て、もうそこからは会ってないですよ。まあ、僕も引越しをしたので……。
――それ、ほんと文字通りの死闘じゃないですか!
塩谷:まあ、僕は働いてたから、不良親父は最悪だし憎んでたけど、やはりいないと寂しいし、何度か許してあげたんですよ。一緒に住もうぜみたいなことで。僕も一人じゃ家を借りれないし。そういうときに、何回か連続して僕のお金を全部持っていったんですよね。
――え! そんな大変な思いをして稼いだお金を。
塩谷:そう。家賃と水道代、電気代、ガス代と、あと、学費がたまってたのが10万ぐらいあって、それがなくなったときに、ああ、もうこいつぶっ殺すと思って。で、親父が寝てるとこに電子レンジを思いきりバーンと投げたんですよ。
――電子レンジを!
塩谷:でも、あの時代の人ってものすごく強くて、親父は剣道も県大会で優勝していて、体もでかいんですよ。180何センチで。だから、そういう人に電子レンジを一個投げたぐらいじゃ死ななくて(笑)。
すぐいろんなものを投げ返されて、向こうのほうが腕力が強いわけじゃないですか。僕はやせてるし。で、「あっ、死ぬ」と思って、パッと外へ出て、金属バットを持って最終決戦みたいな感じになったんです。僕、金属バットで絶対勝てると思ったんですけど、向こうが竹刀を持ってきて。
――竹刀じゃ弱いけど、剣道をやってるから……。
塩谷:そう! だから太刀筋が見えないじゃないですか。パンパンパンって食らって非常階段からババーッと落ちて、上からどんどんものを落とされるんです。そのときアパートの屋上のプレハブ小屋に住んでたんで頭から血が出てるし、「ああ、もう、死んだな……。くそ、もう、早く新聞沙汰になって、ニュースになれ!」と思って覚悟したら、ソファーが非常階段にガーンとぶつかって、もう、上からものが来なくなって、ああ、生きられると思って。
――ソファーのおかげで命拾いをしたんですか……。
塩谷:その隙に110番に電話して警察がいっぱい来たら、親父はもうパァーッと走って逃げて、それで最後です。で、家の前の広場で、彼がほんとに本がすごく好きな人だったから、持ち物が本と書類しかなくて、本と書類を、最後の決別の日に全部燃やしたんです……。
――ちなみに、2人目のお母さんが居た時期は?
塩谷:小学4年生から中学ぐらいまで一緒にいました。やっぱり、家庭があると精神的に落ち着くし、人間って落ち着くと豊かになっていくんですよね。
※週刊ポスト2012年8月31日号