ロンドン五輪で銀メダルを獲得したなでしこジャパン。このチームには2人のリーダーがいた。澤穂希(33)と宮間あや(27)。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がなでしこジャパンの偉業達成に大きな役割を果たした二人の関係について振り返る。
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ロンドン五輪決勝は、澤と宮間がピッチ上で共演した101試合目だった。2003年6月の初コンビ以来、なでしこが標榜するパスサッカーの中核を担ってきた。澤がボールを受ければまず宮間の居場所を探し、澤のパスを受けた宮間が前線の選手の決定機を創出する。
二人は阿吽の呼吸でチャンスメークし、また正確無比な宮間のプレースキック(CKやFK)によって、ドイツW杯決勝の延長、澤の劇的同点ゴールも生まれた。澤は宮間をこう評す。
「相手にすればなかなかボールが奪えない選手で、裏の裏をかかなければいけないぐらいサッカーが上手。そして彼女のプレースキックは、(ゴールを狙う選手が)直接当てるだけでいいぐらい精度が高い」
そして、こう言葉を付け加えるのを忘れなかった。
「あやがチームメイトで本当に良かった」
二人が初めて出会ったのは、宮間が小学6年生の時。当時澤が所属していた読売西友ベレーザ(現日テレベレーザ)が行ったサッカー教室で、男子チームの中にやたらサッカーのうまい女子選手がいた。宮間は10近くも離れたベレーザの選手たちに臆することなく、リフティングを何回続けられるかを訊ねて回った。当時のことを澤はよく覚えている。
「とにかくあやは、口の悪い小僧でしたね。ただ、男の子の中で中心選手だった。代表で一緒に戦うようになってからは“あんなに大人になっちゃって”という感じです」
宮間がキャプテンを引き継いだのは、澤が良性発作性頭位めまい症でなでしこを離脱したタイミングと重なった。
「いなくなって改めて存在の大きさを痛感しました。私は澤選手が不在の間に、チームがおかしな方向にいかないよう気をつけるだけでした」(宮間)
宮間にとって澤は当時も今もアイドルだ。宮間のアシストによって澤が得点を決めると、真っ先に宮間に抱きついてくる。それが宮間にとって最大の喜びなのだ。
才能を認め合う二人が、共にリーダーとして君臨する。それがなでしこの最大の武器である。
4位に終わった4年前の北京五輪時、澤が宮間らチームメイトに向かって「苦しい時は私の背中を見なさい」と伝えた逸話は、五輪史上に残る名言として多くが知るところだ。
しかし、なでしこジャパンを追い続けてきたサッカーライターの江橋よしのり氏によれば、真実は少し異なるようだ。澤は直接その言葉を言ったことはなく、ミーティング時に自らの背中を見せ、「苦しい時はここだよ」と指し示しただけだった。
澤は発言によってチームを鼓舞するタイプではなく、文字通り背中で引っ張るタイプのリーダーである。
練習からピッチをかけずり回り、試合中に自らのミスでボールを奪われようものなら、誰よりボールと相手に食らいついていく。澤の懸命な姿勢を見れば、若手選手も手を抜くわけにはいかず、必死になって走らざるを得ない。
10代や20代前半の若手からすれば、昨年度のFIFA最優秀女子選手でもある澤は雲の上の存在だ。澤も自身の影響力の大きさを自覚しているため、年下の選手に対しても澤なりの配慮がある。いや、配慮しないことが澤なりの配慮なのだ。
江橋氏が言う。
「たとえば、澤が代表入りしたばかりの選手に『元気ないんじゃない?』と声をかければ、その選手は澤のその言葉を重く受け止め過ぎてしまう。『私は代表のレベルにはない』と勝手に考えちゃうんです。だからこそ澤はあえて若手選手に何も言わないようにしている」
※週刊ポスト2012年8月31日号