全世界での累計生産台数約7600万台(2011年末時点)。発売から54年経過した今も年間約400万台以上も販売する本田技研の顔ともいえる『スーパーカブ』が、2012年5月、全面リニューアルを敢行した。この50年以上にもおよぶチャレンジの歴史を振り返ってみよう。(文中敬称略)
1983年に本田技研工業に入社した今田典博(二輪R&Dセンター企画室主任研究員)には創業者本田宗一郎(1991年逝去)との思い出があった。EVスクーターを試作した1989年のことだ。宗一郎が開発部署を視察に訪れることを知った幹部は、今田にこういった。
「鍵をつけていたら絶対に乗りたいといい出すから、しまっておけ」
訪ねてきた宗一郎はスーツ姿にも拘わらず、床に膝をつけ、スクーターを隅から隅までなめ回すように見て、こういった。
「これは動くんか?」
「はい、動きます」
「じゃあ、鍵を持ってこい」
試乗した宗一郎は満足そうな笑みを浮かべ、「ええなぁ~。なかなかええ!」を連発した。この時の光景は今も鮮明に思い出される。創業者の職人魂、技術への執着心を目の当たりにした経験は、今田にとってかけがえのないものとなった。
2012年5月、ホンダは仕事バイクの定番『スーパーカブ50』(50cc)を全面リニューアルした。「そば屋の出前持ちが片手で運転できるオートバイを作ろう」という宗一郎の発想から生まれ、自身も心血を注いで開発されたオートバイは、優れた耐久性とリッター100キロ以上という驚異的な燃費で爆発的な人気を博した。ホンダの業績を牽引し、四輪メーカーとしての今の地位を確立した立役者として社史に刻まれた名車だ。
その『スーパーカブ』のリニューアル話が持ち上がった。世界中の『スーパーカブ』の開発の総責任者である今田は「『カブ』の世界市場での立ち位置が変わってきた」という。
「日本市場で受け入れられるよう、騒音や燃費、排ガス規制、耐久性など非常に高度な水準を設定していたが、これが近い将来世界標準になることは明らか。中国や東南アジア製による低価格の二輪メーカーと戦うためには、従来の使い勝手そのままに、低価格帯へ向けて大きく踏み込まなくてはならなかった」
低価格化の手段としてトップが打ち出した目標はエンジンやシャーシ(骨格)など全面改良した上で低価格化を図るというものだった。日本市場向け『スーパーカブ』の主力は50㏄モデル。しかし、世界市場の主力は『スーパーカブ110』(110cc)だった。
設計、製造はそれぞれ独立していて、使われるパーツも異なっていた。それを共通化することでコストの圧縮を図った。そのため50ccデルでは、シャーシの剛性は高まった。燃料タンクの容量も従来の3.4リットルから4.3リットルと拡大した。だが、それだけでは価格的な競争力を得るためには足りなかった。今田の上司にあたる大山龍寛(二輪事業本部長)が生産の中国移管を提案してきた。
開発チームはすぐさま合弁工場がある天津へ飛び、現地のスタッフに品質管理の必要性と方法を徹底指導した。日本の部下に対しても改めて日頃から繰り返し伝えてきた思いを伝えた。
「ホワイトカラーになるな。俺たちは職人なんだ。どうすれば成功するのか、思考を止めるな!」
中国でのチャレンジは、険しい道のりだった。指導後はその通りの作業が遂行できるのか確認。達成できなければ、また一から何度も教え込んだ。併せて、中国の指導者を日本に送り込み販売店巡りも体験させた。ユーザーと直に会話をさせることで、自分たちの作業の必要性を認識してもらうことが目的だった。
「日本人はなぜ、そこまで品質を要求するのか。彼らは最初は理解できなかったようです。でも必ずその意味は伝わるはずです」
果敢にチャレンジするというホンダのDNAは不変だった。
※週刊ポスト2012年8月31日号