官邸を取り巻く反原発デモを“あじさい革命”と呼ぶ向きもあるが、作家・落合信彦氏は単なる美談で終わらせては意味がないと指摘する。同氏が例示するのは「ジャスミン革命」のその後である。
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連日流れるシリアのニュースを見て、日本人は何を考えているだろうか。
自国民に対して殺戮を繰り広げる大統領のアサド。アラビア語で「アサド」とはライオンを意味するが、権力の座にしがみつくその姿は、むしろハイエナと言ったほうがいいだろう。
アサドは悪しき独裁者そのものである。間違いない。ただ、このシリアでの騒乱を、チュニジアから始まった一連の民主化運動と同じ流れ、つまり「アラブの春」などという陳腐なキーワードで理解しようとしてはならない。
「アラブの春」という表現は、長い冬が終わり、手放しで喜べる春がやってきた、という印象を与えてしまうが、それは違う。一連の騒乱については「アラブの混乱」「アラブの嵐」といったほうがいい。
シリアの反体制派を見ても、アサドに叛旗を翻すという点では目的が一致しているものの、民族や思想はバラバラで、アサド後の体制をどうすべきか、全くヴィジョンを共有できていない。
悪しき独裁体制を打倒するというフレーズは絶対的な「正義」に聞こえる。だが、チュニジアやエジプト、リビアなど、昨年すでに「春」を迎えた国々の現状を見れば、アラブ世界での“革命”が、望ましい結果を招かなかったという真理が見えてくる。
では、それらの国で何が起きたか。イスラム原理主義の台頭である。
例えば、端緒となったチュニジア。独裁者のベン・アリによる抑圧に不満が鬱積していたところに、一昨年12月、役人や警察の腐敗に抗議して一人の若者が焼身自殺を図った。弱者への同情と強権的な支配への反発が、フェイスブックなどを通じて広がり、独裁者を国外逃亡へと追い込んだ。これがいわゆる「ジャスミン革命」だった。
だが、その後に行なわれた議会選挙ではイスラム原理主義に近い政党(エナダ)が勝利。一部の原理主義グループは、イスラム法の厳格な実践を求めている。その要求は、大学で男女の教室を別にする、女子学生のスカーフ着用を要求する、といった前近代的なものだ。
ベン・アリの時代には原理主義とは一線を画した世俗的な政策が進められていた。合理的な社会の構築という観点では、「革命」によって、逆に時計の針が巻き戻されてしまったのである。
エジプトでも同様に、原理主義グループから大統領が輩出された。私は当時からアラブ世界にはこれからカオス(混沌)が訪れると指摘したが、まさにその通りの流れになっている。
※SAPIO2012年8月22・29日号