塩谷瞬(30)ほど、実態の掴めないままメディアに攻撃された人物はいない。映画『パッチギ!』(2005年)の主演として一躍脚光を浴びた俳優は今年、モデル・冨永愛(30)と料理研究家・園山真希絵(34)との「二股騒動」で時の人となった。「平成の二股男」として非難を浴びながら、これまで沈黙を続けてきた彼が、プロインタビュアー・吉田豪氏を前に今、重い口を開く。語られたのは、凄絶過ぎる生い立ちと、「愛」に対する飽くなき渇望だった。
――とりあえず表に出ている情報を見るだけでも、今、ここまでハングリーなバックボーンを持った人も珍しいですよね。
塩谷:そうですかね。この業界は意外と多いですよ。確かに、ある人から見たら恵まれてないっていうか、かわいそうだなって思われることもありました。子供のころは自殺したくなってしまうような環境に追い詰められたりすることもたくさんあったんですけれども。
――詳しく聞いてみたいんですけど、御両親の離婚はいくつのときなんですか?
塩谷:いや、物心ついたときには母親がいなかったので、いくつのときかわからないです。もう母親の顔すら覚えてなくて、親父と2人で自分の人生が始まっていって。頼れる人も親しかいないわけですから、そこが封鎖されたときに、ものすごく苦しみましたよね。
――小学校で不登校になったみたいですけど、いじめがきっかけですか?
塩谷:不登校は、まず学校に行く価値観を親から植えつけられていなかったので、学校に行く必要が何であるのかもよくわからなかったし、低学年のときはあんまり行かなかったですね。家に人がいないわけですから、もう自分で生きていくしかなくて。ご飯も食べられない状態で、ほんとに青白い顔をして、よく貧血で倒れたりして、体も細かったし、女の子に間違われることもあった、コンプレックスの固まりでした。貧乏でしたよ。100円のうどんを3日に1回ぐらいしか食えなかった。
――じゃあ、普段は?
塩谷:食べない。あと、子供のころは何を食べていいのかよくわからなかったので、カップラーメンばっかり食ってたり。起きたら、机の上に1000円だけ置いてあったりするんですけど、やっぱり子供のころって馬鹿だから……。
――すぐ使っちゃう。
塩谷:駄菓子屋に行って、ビックリマンチョコをワンケース買うと終わりなんですよ。で、シールをバァーッと集めて、ウエハースを食べるけど、食べきれないから、社会問題になったように、捨てたりして……。
――貧乏なのに(笑)。
塩谷:そうそう(笑)。でも、そのとき不思議だったのは、人間の優しさで、スーパーとかゲームセンターとか行ったりすると、栄養失調状態だったので、突然貧血になってパタッと倒れるわけですよ。で、気がつくと用務員室とかにいて、用務員のおじさんとかがパンとか牛乳をくれるわけですよね。
そういうのがすごくうれしくて、そこから用務員さんと仲良くなったりして。それって、ほんとにアガペー(無償の愛)じゃないですか。そういうやさしさがうれしかったし、自分もしてあげられたら楽しいなって。で、小学校4年生からは集団生活が楽しくなってきて、毎日学校に行って、生徒会をやったりもして。
――その変化って何がきっかけだったんですかね?
塩谷:多分、親父が再婚したこともあったんですけれども、人並みの生活が何となくできるようになって。余裕が出て、5年生ぐらいから勉強やコミニュケーションが凄く好きになって、夏休みに新聞配達のバイトをしたりして外の世界に興味が出てきたんだと思います。
※週刊ポスト2012年8月31日号