日本勢のメダルラッシュは、柔道男子60kg級平岡拓晃選手(27才)の銀メダルから始まった。1回戦で敗れた4年前の北京五輪では、現地で観戦していた母の雅子さん(54才)が報道陣に向かって「申し訳ございません」と謝罪。一方の平岡選手は敗戦の直後から「五輪の悔しさは五輪でしか晴らせない」と前を向くも、母にだけは「このままでは日本に帰れない」と傷心の思いを伝えていた。
この4年は長くつらい病魔との闘いでもあった。2008年末に平岡選手の骨肉腫が発覚。幸いにして良性だったが、同時期に雅子さんに乳がんが見つかり、また父の宣好さん(59才)も1年半前に大病を患った。両親とも予断を許さない時期があったが、五輪イヤーが明けると病状は快方に向かう。
両親の励みになるようにと、息子は金メダルだけを目指し、5月の全日本選抜体重別選手権で5連覇を達成。両親もそろって命がけでロンドンまで応援に赴いた。悲願の金メダルこそ叶わなかったが、家族が一丸となって勝ち得た銀メダルだった。しかし母は再び報道陣に頭を下げた。
「あの子は金メダルしか目指していなかったんですから。私もおめでとうではなく、残念だったねと声をかけたい」
競泳女子200mバタフライで銅メダルを獲得した星奈津美選手(22才)は、高校1年生だった5年前にバセドー病を発症。甲状腺ホルモンが必要以上に作られるこの病気は、動悸や息切れを伴い、運動選手にとっては致命的な病だ。実は星選手の母・真奈美さん(49才)も甲状腺の持病があり、娘が小学6年生の時に検査を受けさせていた。
「そのときすでに、いつ発症するかわからない状態といわれていました」(真奈美さん)
医師に相談の上、母子は競泳を続ける決意を固め、真奈美さんは毎日練習場まで送り迎えして競技生活を支えた。決勝レースの直前、星選手は母に一通のメールを送った。
「一緒に闘ってくれてありがとう。ここまでやってこられたのはお母さんのおかげ」
銅メダルが決まると真奈美さんは、「今度は娘と旅行に行きたい」と笑顔を見せた。
同じ競泳でも男子200m背泳ぎの入江陵介選手(22才)の母・久美子さん(50才)は、自ら積極的に息子に声をかけて励ますタイプの母親だろう。
今年4月の日本選手権で息子の泳ぎが本調子でないことを察した久美子さんは、すぐに電話をかけた。受話器の向こう側から息子の嗚咽がもれてくる。すかさず母はいった。
「あなたは私の自慢の息子。どんな結果でも恥じることはないから、胸を張って帰ってきなさい」
翌日のレースで、息子は見事代表権を勝ち取った。
団体銀メダルという日本卓球界初の快挙をもたらした石川佳純選手(19才)が卓球を始めたのは小学1年生の時だ。現役の卓球選手だった母の久美さん(48才)は、同じく卓球選手の夫と共に自宅の1階を卓球場に改築し、卓球教室もオープン。娘に対して英才教育を施した。
石川選手が小学5年生のころ、まだ現役だった久美さんとの母娘対決が山口県山口市の大会で実現した。娘に敗れた久美さんはこれを機に引退を決意。現在は年間30試合も海外を転戦する娘に帯同し、日本から米と炊飯器を持参して食事面からサポートしているという。
石川選手は銀メダル獲得後、家族に向かって「ありがとう、ありがとう」と感謝の言葉を幾度も繰り返していた。
※女性セブン2012年9月6日号