橋下徹・大阪市長の一丁目一番地の公約が「大阪都構想」だ。国会では関連法案の審議が進み、大阪では府市統合本部による具体的な合併の青写真づくりが続く。では、「府」が「都」になれば大阪はどう変わり、それがどう「中央集権をぶっ壊す」(橋下氏)ことにつながるのか。大阪府・市の特別顧問を務める原英史氏(政策工房社長)が解説する。
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ここでいう「大阪都」構想とは、単に名称を変えようという話ではない。現在の「大阪府-大阪市(-市の内部組織としての各区)」という枠組みを、「東京都-23区」に準じた枠組みに改める構想だ。大阪市を消滅させた上で8~9つ程度の「特別区」に分け、それぞれに公選の区長と区議会をおくことが想定される。
なぜ「大阪都」にする必要があるのか? 理由としてまず、「府市あわせ(不幸せ)」とも言われる「二重行政」問題がある。
例えば、大阪府立大学と大阪市立大学がある。病院や図書館、体育館も、似た規模と機能のものが二重にある。中小企業が金融機関から借り入れする場合に債務を保証する信用保証協会も2つあり、大阪の企業はどちらに行くのか迷う。2つあって便利になるならばよいが、人材と資金が分散される結果、住民サービスの総合力が低下してしまう。
こうなる要因の一つは、大阪府と大阪市という、似通った規模の自治体の併存だ(府の人口・886万人、市の人口・267万人)。大阪市は、住民サービスを行なう基礎自治体としては大き過ぎる。例えば、市内には560の市立学校。一つの教育委員会ではなかなか目が行き届かない。一方で、広域自治体としては狭すぎる。自治体として「大きすぎて狭すぎる」のだ。
そんな大阪に、「道府県と市町村」という、地方自治法の二層構造を機械的にあてはめていたことに、そもそも無理があったと言えるだろう。
府市特別顧問の堺屋太一・元経済企画庁長官によれば、これらの問題が大阪で特に深刻であることの淵源は昭和40年代に遡る。
「昭和45年の日本万国博覧会まで、大阪は新しい産業を多く生み出す土壌がありましたが、万博の後、黒田了一さんが大阪府知事になりました。黒田知事は、いわば真面目な社会主義者。『大阪には大企業の本社や有名デザイナーはいらない。そういうものは東京にあればいい。大阪はむしろ、御堂筋をステテコで歩ける庶民の街にしたい』という考え方でした。
広域行政として成長戦略を考えるのでなく住民に身近なサービスをという発想では、府も市も同じような自治体になってしまう。この頃から、二重行政の問題が生まれたのです」(堺屋氏)
さらに問題が根深いのは、これが国の政策に符合したことだという。
「戦後の日本ほど、国策のはっきりした国はありません。対外的には『経済大国、軍事小国』国内では、『規格大量生産型社会』にするということです。そのため、第一に、官僚主導・業界協調で、過当競争を防止する体制を作りました。大企業は潰れず、社員は終身雇用。企業にとって都合のよい“職縁社会”ができ上がりました。第二に、全国民を規格人間にする教育をやりました。協調性と技能を育み、個性や独創は否定することが重んじられた。
そして、第三の柱が東京一極集中です。産業の中枢は東京に集約し、情報と文化は東京からだけ発信する。つまり東京で作った規格が全国で一斉に流通する仕組みを作ったのです。高度な機能はすべて東京に集め、地方は単なる“手足”にした。この国策に、黒田府政以来の大阪府・市は乗ってしまったのです。そして、この『規格大量生産型』の流れを変えようというのが、大阪都構想です」(堺屋氏)
問題の本質は、府と市の似たような施設といったことにとどまらない。戦後日本の社会システムを転換させようという構想なのだ。
※SAPIO2012年8月22・29日号