チュニジアの「ジャスミン革命」に端を発する「アラブの春」が結果的に招いたのはイスラム原理主義の台頭だった。作家・落合信彦氏は「革命によって逆に時計の針が巻き戻されてしまった」とした上で、日本で現在発生している官邸前デモをはじめとした一連の“あじさい革命”についてこう指摘する。
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今、日本でも毎週金曜日に首相官邸前で脱原発デモが繰り返されている。いつもは羊のように大人しい日本人が、政府の無能さに対して積極的に意思表明をするというのは確かに珍しい。こうした動きをチュニジアでの「ジャスミン革命」になぞらえて「あじさい革命」などとも呼んでいる。
だが、「ジャスミン革命」やアラブ諸国での「革命」と同様に「あじさい革命」も賛美するには値しない。
デモやチラシで現実は変わらない。原発問題について、非現実的な反対運動は無責任の誹りを免れない。もし本当に世界で脱原発の流れが進めば、どうなるか。間違いなくオイルや液化天然ガス価格は急騰し、代替エネルギー政策はすぐに破綻するだろう(現に先日発表された今年上半期の貿易赤字は、昨年1年間の赤字を上回った。
石油と天然ガスの輸入増加が原因の一つであることは間違いない。このままいけば、赤字は膨らみ続け、財政はパンク、税金は上がり、企業は海外に移り、残るのは何でも反対する輩だけ。誰がこの責任を取るというのか)。
もちろん、チュニジアで独裁者のベン・アリが、エジプトでムバラクが失脚させられたように、野田政権を追い落とすことはできるかもしれない。しかし、政権を倒した後のヴィジョンがそこにあるかが最も重要なことだ。
ここまで指摘した通り、アラブ世界では独裁者による悪政を倒しても、宗教に基づいた原理主義が力を握る。現在のエジプトは原理主義vs軍部の権力争いとなってしまった。革命の主役だった若者や一般市民はいつの間にかはじき出された。
もちろん日本でイスラム原理主義が台頭することはない。だが、それに変わりうるのがソーシャリズム(社会主義)だろう。大衆が求める通り、格差是正という名の下に、正当なビジネスで稼ぎを得た人間にどんどん課税していく。そんな人気取り第一の政策が跋扈しかねない。
すでにその流れは進んでいる。2009年の総選挙で、自民党の古い政治に嫌気が差した国民は、民主党の詐術的なマニフェストに熱狂し、それをマスコミが後押しした。中東で起きている反独裁から原理主義への流れと相似形に見えはしないか。
中東におけるイスラム原理主義は、さしずめ日本におけるテレビのワイドショーだ。思考を停止し、複合的な判断をせずに、物事を単純な善悪に分ける大衆が欲望を発散し、政治がそれに迎合するならば、それは、成熟した民主主義とはかけ離れた姿だ。
我々はシリアに連なる一連のアラブの混乱から、その点を学ばなくてはならない。ジャスミン革命も、立ち上がった民衆の一人ひとりは純粋な動機を持っていたかもしれない。しかし結果はカオスだった。リビアでは革命に参加した人々が銃や手榴弾を今も抱えている。まだ革命は終わっていないし、部族間の争いが起こり得ると危惧しているからだ。
日本人も、一人ひとりが深く考えなければ、いくら動機が正しくても道を誤りかねないことを知るべきである。安易な熱狂に対して私は、敢えて今、水を差したい。
※SAPIO2012年8月22・29日号