生活保護受給をめぐっては家族の扶養義務が議論の的となるが、最近はいささか極端に流れやすい“空気”もあるようだ。室伏広治選手に浮上した問題について、リスクヘッジ代表取締役の田中辰巳氏が指摘する。
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「魔女狩り」とは、まさにこのことである。
ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得したハンマー投げの室伏広治選手について、某女性週刊誌が驚くべき批判記事を掲載した。要約すれば『室伏選手が中学生の時に離別した実母が生活保護を受けているのに、室伏選手が援助をしていないのはけしからん』という内容である。お笑い芸人・次長課長の河本準一氏と同じだと言いたいのだろう。
この記事を受けて、ネット上では様々な意見が発信されている。概ね室伏選手に同情的なものが多いが、残念ながら賛否両論ある。記事に賛同する意見を読んで、私は実に悲しい気持ちになってしまった。株式公開を果たした某企業家が、自分を捨てて出ていった親から突然に支援を要求されて、悩んで対応の相談に来た事例を思い出したからである。
本当に室伏選手は、両親が離婚して離別した実母を支援しなければならないのか。
確かに民法には、実子は実の両親を扶養する義務があると定められている。しかし、この民法の法の趣旨は、親は子を二十歳まで扶養する義務を負うから、子も親を扶養する義務があるとするところにある。したがって、二十歳まで子を扶養する義務を果たさなかった親を、実母だから扶養する義務があると解釈するのは無理があろう。
何よりも、親との離別を余儀なくされた子にとって、離れた親の扶養を義務のごとく言われることは、傷口に塩をすり込まれるようなものなのだ。両親が離婚をすれば、子はどちらかの親と同居をするが、後にその親が再婚をする可能性は高い。新しい母(あるいは父)を迎える子の気持ちは、決して楽なものではない。親は好きな人と再婚するが、子は好きでもない見知らぬオバさん(オジさん)との同居を余儀なくされるのだから。しかも、無理やりお母さん(お父さん)と呼ぶことを求められる。とてつもない違和感であり、抵抗感にさいなまれる。そんな時、「なぜ両親は離婚なんかしたんだ」「我慢できなかったのか」という怒りが込み上げてくる。同時に、出ていった親を恨みたくもなる。
世の中には、生まれたばかりの子供を捨てる親もいる。裁判所から下された判決を無視して、子供の養育費も払わない親もいる。突然、子供を残して駆け落ちや蒸発をして、姿を消してしまう親もいる。そんな親でも、実の親であれば援助しなければならないのか。室伏選手に『実母なのだから』と扶養する義務を求めるなら、そんな親をも扶養しなければならなくなってしまうのだ。それどころか、女性週刊誌の記事や、その記事に賛同するネット上の意見は、そんな親が「実の親だから支援してくれ。さもなければ女性週刊誌やネットでバラすぞ」という要求を後押しすらしかねない。
幼くても子供は馬鹿ではない。両親が離婚したときには、どちらが悪いかを悟っているものだ。だから、たとえ父親に育てられても、母親が間違っていないと思えば、成人した後に実母との交流を持つものである。したがって、子が成人するまでの扶養義務を途中で放棄した親で、その後も子からのアプローチが無い親については、子からの支援を期待するべきではないだろう。当然ながら、支援しない子も批判されるべきではない筈だ。
成人するまで扶養してもらい今も母と深い交流がある河本氏と、そうではない室伏選手のような例を同列で批判するのは酷な話だ。似て非なるものなのだから。