史上7校目となる甲子園春夏連覇を達成した大阪桐蔭高校。その立役者といえるのが、エース・藤浪晋太郎投手(18才)だ。
かわいらしいルックスと197cmの長身から投げ下ろすしなやかな投球フォームから、“浪速のダルビッシュ”と呼ばれた藤浪投手。その活躍の陰には、親友の支えと両親の教えがあった。
大阪桐蔭には、「もうひとりのしんたろう」がいる。記録員・倭慎太郎(やまと・しんたろう)くん(17才)だ。中学時代は、藤浪投手とバッテリーを組んでいた捕手で、“藤浪と甲子園に行きたい”と同校に進学。しかし、右ひじの怪我のため、高校2年生の秋から選手としての道を諦め、記録員として藤浪投手を支えている。倭くんの父親・崇明さんが言う。
「慎太郎だからこそわかる藤浪くんの悪い癖が出たりすると、すぐにアドバイスをしていました。練習が休みのときには、藤浪くんとふたりだけで対戦相手のビデオを見たりして研究していたようです」
倭くんの存在が、春夏連覇に大きく貢献したことは間違いない。藤浪投手が野球を始めたのは小学1年生のころ。父親が監督をしていた少年野球チームに入ったのがきっかけだった。恵まれた体格からエースとして活躍するが、小学6年生のときに、こんな出来事があった。
「大雨のある試合で、藤浪くんが、全然ストライクが入らなくなったんです。押し出し押し出しで…本人もつらそうで、周りも代えようって…。でも、お父さんは、“ここは絶対投げさせる”といって、代えなかった。お父さんは、“苦しい時にこそ、野球を楽しんでほしい。それができると、息子はより一層強くなる”という思いを持っていたそうです」(藤浪家の知人)
夏の甲子園。藤浪投手の帽子のつばには、そんな意味を込めた“楽笑”という父のメッセージが書かれていた。
※女性セブン2012年9月13日号